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レーシングオン ニュース

投稿日: 2021.04.14 10:00
更新日: 2021.04.20 12:35

【忘れがたき銘車たち】ターボ軍団の番長、トミカ スカイラインシルエット

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レーシングオン | 【忘れがたき銘車たち】ターボ軍団の番長、トミカ スカイラインシルエット

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツweb。両者がコラボしてお届けするweb版『Racing on』がスタートしました。
 web版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカーやドライバーなどを紹介していきます。第1回のテーマは、スーパーシルエットの代名詞『トミカ スカイラインシルエット』です。

* * * * * *

 “デッパ”、“タケヤリ”……こんな言葉を聞いたことがあるだろうか。最近は滅多に見かけることもなくなったのだが、いわゆる“族車”と呼ばれる暴走族が乗っていた違法改造車のスタイルのひとつである。

 そんな改造車に乗っていた彼らの憧れであり、カスタムのお手本となっていたのがシルエットフォーミュラやスーパーシルエットと呼ばれる、グループ5規定で争われたレースに参戦する車両だった。

 もともとは、ヨーロッパで始まったシルエットフォーミュラのレースだったが、日本ではスーパーシルエットシリーズとして、富士グランチャンシリーズ(GC)の前座として1979年にスタートした。一時期はGCのメインレースよりもスーパーシルエットを目当てにサーキットへ来る観客のほうが多かったと言われるほどの人気を博した。

 そのスーパーシルエットではシルビアやブルーバードなど、日産車勢が大活躍した。その日産車勢の最後発の車両として登場したのが、DR30型スカイラインをベースとしたトミカ スカイラインシルエットだった。

 スカイラインがスーパーシルエットに登場したのは1982年のシリーズ第3戦。車両のスペック的にはフロントにストラット、リヤにウイッシュボーン形式を採用するサスペンションを除いて、基本的には先行してシリーズを戦っていたシルビアやブルーバードと同じであった。

 しかし、1983年に追加されたRSターボのティザーキャンペーンのために採用された赤×黒のツートーンカラーなども相まって、前述の2台とこのスカイラインを含めた“日産ターボシルエット軍団”のなかでも、スカイラインは代表格といえる人気を誇った1台だった。

 実戦を戦った期間は1982年~1984年までのたった3シーズン、計19戦という短い期間だったが、スカイラインは8勝をマークした。この戦績は、ほかの2台と比べても秀でており、まさに“日産ターボシルエット軍団”の番長格と表現することができるだろう。

 実働した期間は短いものだったし、レース内容自体も決して毎戦激しい戦いが繰り広げられていたわけではなかったが、シルビアやブルーバードを引き連れて、富士スピードウェイを火を吹きながら走るだけで絵になる。それほど、赤×黒のツートーンカラーを装ったスカイラインが人々にもたらした印象は、深く鮮烈なものだった。

トミカ・スカイラインを先頭にブルーバード、シルビアと連なって富士スピードウェイのヘアピンへと進入する“日産ターボ軍団”。激しい争いが繰り広げられてはいないが、3台がかっこよく走っているだけでよかったのだ。
トミカ・スカイラインを先頭にブルーバード、シルビアと連なって富士スピードウェイのヘアピンへと進入する“日産ターボ軍団”。激しい争いが繰り広げられてはいないが、3台がかっこよく走っているだけでよかったのだ。
1983年の終盤には後期型のフロントマスク、いわゆる“鉄仮面”顔にイメージチェンジ。この鉄仮面顔で戦ったのはわずか6戦ほどだった。
1983年の終盤には後期型のフロントマスク、いわゆる“鉄仮面”顔にイメージチェンジ。この鉄仮面顔で戦ったのはわずか6戦ほどだった。
搭載されるエンジンは2.0リッター直4ターボエンジンのLZ20型。最高出力は570psと謳われていた。このLZ20はグループCカーでも活用されることになる。
搭載されるエンジンは2.0リッター直4ターボエンジンのLZ20型。最高出力は570psと謳われていた。このLZ20はグループCカーでも活用されることになる。


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