結局クルマが届いたのは7月末で、大急ぎで準備をして8月上旬のTIサーキット英田ラウンド(第11/12戦、現岡山国際サーキット)に臨んだ。迎えたデビュー戦では、練習走行でトラブルが発生し予選すら走れずに終わった。
「当時ミッショントラブルが原因と言っていましたが、実はエンジンが壊れてしまったのです。エンジンが壊れたと言うと印象が悪いからダメだと念を押されました。でもこの時点でスペアエンジンはなかったので、載せ替えることもできませんでした。次の筑波にも間に合わず欠場して、本当のデビュー戦は9月の仙台ハイランド戦(第15/16戦)でした」
第15戦は14位に終わるも、第16戦は4位でフィニッシュ。惜しくも表彰台を逃したが、これがアルファロメオ155とユニコルセのJTCC最高成績となった。
というのも、翌年に向けて体制を強化して挑む予定だったが、1995年1月17日に阪神・淡路大震災が起こり、すべてが頓挫。マシンは東京オートサロンに出展していて無事だったが、ガレージが崩壊してしまいレースをやれる状況ではなくなっていた。
「甚大な被害を受けたためレースを継続するつもりはなかったのですが、全国各地のアルファロメオファンからたくさんの心配や激励のお手紙をいただいたのです。それに応えようと再びレース参戦を決め、関西から近い鈴鹿、岡山、富士の3戦に出場しました」
大川は1995年限りでレース活動をやめ、現在は一般車を対象としたアルファロメオやフィアット、アバルトのスペシャルショップ『ユニコルセエンジニアリング』の代表を務めている。
「資産のある父を持った息子が遊びでレースをやっていると見られていたかもしれませんが、アルファコルセとの交渉は並大抵の努力ではなかったですよ。でも、私にはそれが仕事でしたから“ツライ”や“楽しい”とは関係なく、やらなければいけなかったのです」
「あの地震ですべてが狂ってしまいました。でもあのときの活動がなければ今のユニコルセはなかったと思うので、私にはすべての“出発点”だと思いますね」
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1994年に鳴り物入りでBTCCに投入され、開幕から連勝して当年王座に輝いたのがアルファ155であった。その門外不出マシンを若さと情熱で入手したユニコルセがJTCCでも大きな注目を集めたのは当然のことだった。
未熟なチーム体制と予想だにしなかった大地震によって活動はわずかな期間にとどまり好成績も残せはしなかったものの、当時のファンや関係者に鮮烈な印象を残した。
多岐にわたる車種バリエーションを誇った、当時のJTCCを代表し体現する存在でもあったと言えるだろう。本誌の記事中ではプロジェクト開始の契機となった155GTAとともに大川の声を数多く収録している。
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