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F1ドライバー

F1 | フェルナンド・アロンソ(Fernando Alonso) 2022年

フェルナンド・アロンソ(Fernando Alonso) 2022年

スペイン /

ゼッケンNo. :14

●国籍:スペイン
●生年月日:1981年7月29日(40歳)
●身長/体重:171㎝/68㎏

フェルナンド・アロンソ関連ニュースまとめ

2021年成績
●出走:22回
●優勝:0回
●表彰台:1回
●入賞:15回
●完走:20回
●PP:0回
●FL:1回
●ドライバーズランキング:10位/81ポイント

通算成績
●F1デビュー:2001年第1戦オーストラリアGP
●在籍チーム:ミナルディ(2001年)→ルノー(2003〜06年)→マクラーレン(2007年)→ルノー(2008〜09年)→フェラーリ(2010〜14年)→マクラーレン(2015〜18年)→アルピーヌ(2021年〜)
●出走:336回
●優勝:32回
●PP:22回
●FL:23回
●表彰台:98回
●入賞:217回
●ドライバーズ選手権最上位:1位(2005〜06年/ルノー)

■フェルナンド・アロンソ プロフィール

 アマチュアカートのレーサーをしていた父の影響でアロンソは3歳からカートを始める。一般的な家庭で育ったため資金が潤沢とは言えないが、アロンソ自身が速さを見せていたことでスポンサーマネーを獲得しレース活動の継続に成功している。

 7歳の時にカートレースで初優勝。その後も着実に成果を積み上げ、12歳となった1993年にはスペイン・カートジュニア選手権で初のチャンピオンに輝く。その後この年を含め4連覇を果たした。16歳の97年には母国スペインに加えてイタリアのカート選手権Aクラスにも出場し両シリーズでチャンピオンとなる。

 ここまでの活躍が元F1ドライバーのエイドリアン・カンポスの目に留まる。99年、17歳にして『ユーロ・オープン・バイ・ニッサン』にカンポス・レーシングから出場。フォーミュラカーデビューを果たす。この年は6勝、9ポールポジションを記録して堂々のチャンピオンとなった。

 18歳となった99年の12月、当時ミナルディのF1スポーツディレクターを務めていたチェーザレ・フィオリオからテスト走行の機会を与えられる。これがアロンソにとって最初のF1マシンドライブだ。

 2000年にはハイパワーなマシンにステップアップする。国際F3000シリーズに参戦し優勝も記録、最終的にシーズン4位となった。またこの年は、ミナルディF1のテスト兼リザーブドライバーも担当している。

 そしてオフシーズン中に、01年にミナルディからF1へレギュラー参戦することが発表された。また後のルノーF1チームの代表となるフラビオ・ブリアトーレがマネージャーとなった。開幕戦のオーストラリアGPに出走したときは19歳217日で、当時歴代3番目に若いF1デビューだ。

 デビューイヤーは戦闘力に劣るマシンに泣かされ最高位は10位。一方で非力なマシンながら中堅チームと競う速さを見せたことから”速いドライバー”という印象を関係者に植えつけている。

 02年はルノーのテストドライバーを務め、03年からレギュラードライバーとしてルノーのステアリングを握る。第2戦マレーシアGPで当時の最年少ポールポジションと最年少表彰台、第13戦ハンガリーGPでは最年少優勝記録を更新、ランキング6位と上々のシーズンを過ごした。

 04年は未勝利ながらシーズン4位と安定感を上げ、迎えた05年はマシンの戦闘力向上も重なり第2戦マレーシアから第4戦サンマリノまで3連勝。全17戦で、計7勝を含む13回の表彰台を獲得し24歳58日でスペイン人初のワールドチャンピオンを獲得、もちろん当時最年少の記録を更新した。またルノーにも初のコンストラクターズタイトルをもたらしている。

 06年も安定した強さを見せ、第6戦スペインでは母国レース初優勝も決めるなど序盤9戦で6勝する。終盤はフェラーリのミハエル・シューマッハーに肉薄されるも逃げ切り、2年連続でドライバー&コンストラクターズタイトルを獲得した。

 07年はマクラーレンに移籍。この年も最終戦までチャンピオン争いを展開する一方で、シーズンが進むにつれてルーキーでチームメイトのルイス・ハミルトンとの確執が露呈される。快走するハミルトンに対するチームの贔屓疑惑に不満を募らせ予選アタックの妨害を含めチームと関係が悪化。最終的に1ポイント差で3連覇を逃し、同点のハミルトンに次ぐ3位でシーズンを終える。3年契約で移籍するも上述の問題からチームと契約を解消。わずか1年でルノーに復帰することが決まった。

 08年は中盤戦まで成績が伸び悩むも第15戦シンガポールと第16戦の日本で連勝しランキング5位で1年を締めくくる。だがシンガポールでチームメイトのネルソン・ピケJrが、アロンソを勝たせるべく故意にクラッシュするようチームオーダーされたことが後に明かされる。このためアロンソにはこの『クラッシュゲート』問題が付いて回ることになった。

 マシンの戦闘力不足に加えて上記の問題が影響してか09年は未勝利に終わる。10年はフェラーリへ移籍。5勝して最終戦アブダビをランキング首位で迎えるもチームのピット戦略ミスでチャンピオンを取り逃がしシーズン2位に。翌年は1勝止まりでランキング4位にとどまるもシーズン半ばに16年までの契約延長に合意する。

 12〜13年はともに勝利こそ上げるもチャンピオンには一歩およばず2年連続でシーズン2位。なお13年は奔放すぎる言動が目立ち、イタリアでの予選ではチーム戦略を批判する無線を飛ばしたことでチームとの関係が悪化。14年は現行のパワーユニット規則が導入されフェラーリは苦戦、未勝利でランキング6位という不本意な成績ばかりか、チームとの契約を打ち切られてしまった。

 15年はマクラーレンに復帰。しかしこの年から採用したホンダ製パワーユニットのパフォーマンス不足に苛立ちを爆発させるシーンは記憶に新しく、ルノー製パワーユニットに交換した18年まで表彰台は1度もなかった。同年に「勢力図が固定化されている」現状を理由にF1からの離脱を表明する。

 そして2020年、ダニエル・リカルドが離脱し空席となる21年のアルピーヌのシートに収まることが発表され、3年ぶりのF1復帰が確定した。

 F1に復帰したアロンソは、シーズン序盤はマシンの適応に苦労して僚友エステバン・オコンに後れを取っていたが、第6戦アゼルバイジャンGP以降は安定して入賞を続けた。第11戦ハンガリーGPでは、レース後半に新しいタイヤを履いて追い上げてきたルイス・ハミルトン(メルセデス)と激しい攻防を繰り広げた。結果的にハミルトンに抜かれはしたものの、首位を走っていたオコンの優勝を大きくサポート。また第21戦カタールGPでは3番手からスタートし、3位に入賞。F1復帰後の初表彰台を獲得し、ランキング10位でシーズンを終えた。

公式サイト:
https://www.fernandoalonso.com/
Instagram:
https://www.instagram.com/fernandoalo_oficial
Twitter:

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