F1ドライバー

F1 | カルロス・サインツJr.(Carlos Sainz Jr.) 2019年

カルロス・サインツJr.(Carlos Sainz Jr.)

スペイン / マクラーレン /

ゼッケンNo. :55

●国籍:スペイン
●生年月日:1994年9月1日(24歳)
●身長/体重:177㎝/66㎏

●出走:21回 
●優勝:0回(勝率:0%)
●表彰台:0回(獲得率:0%) 
●入賞:13回(入賞率:61.90%)
●完走:19回(完走率:90.47%) 
●PP:0回(獲得率:0%)
●Q3進出:13回(進出率:61.90%) 
●Q2進出:18回(進出率:85.71%)  
●FL:0回 
●予選平均順位:10.33位  
●決勝平均順位:9.47位

●F1デビュー:2015年第1戦オーストラリアGP
●在籍チーム:トロロッソ(2015~17年日本GP)→ ルノー(17年アメリカGP~)
●出走:81回 
●優勝:0回 
●PP:0回
●FL:0回 
●表彰台:0回 
●入賞:40回
●通算獲得ポイント:171点
●ドライバーズ選手権最上位:9位(2017年/トロロッソ、ルノー)

■カルロス・サインツ プロフィール

 父はトヨタでWRC(世界ラリー選手権)タイトル獲得2度、ダカールの総合優勝も果たしたラリー界のレジェンド、カルロス・サインツ。その父と同じ名前を持つ。

 2歳のころに祖父がおもちゃの動力つきバギーを買い与えたのが、4輪の初体験。4歳でカートを始める。競技カートへの参加は2005年から。翌06年にマドリードの地方選手権タイトルを獲得した。

 07年から国際舞台への進出を始め、08年には『KF3』クラスでアジア・パシフィック王座に輝き、同年のスペイン選手権2位。09年にモナコでジュニアカートの国際レースに優勝したことがレッドブルの目に留まり、フォーミュラ・BMWのテストに招待される。その後、正式にレッドブル・ジュニアチーム入りを果たした。

 10年はフォーミュラ・BMW・ユーロカップに参戦し、1勝を挙げて、ルーキーオブザイヤー。また、同パシフィック選手権も走り、2勝の成績を残した。この年の後半にはフォーミュラ・ルノー・ユーロカップを始め3つのシリーズを掛け持ちして、さらなる鍛練に努める。

 11年はフォーミュラ・ルノー・ユーロカップと同北ヨーロピアンカップにダブルエントリー。ユーロカップは総合2位となりチャンピオンを逃したものの、北ヨーロピアンカップでは同じレッドブル・ジュニアのダニール・クビアトらを下しフォーミュラでの初タイトルを獲得した。

 12年はF3進出。ヨーロッパ、ユーロ、英国と3つのシリーズを走る。英国選手権では5勝を挙げたものの、いずれのシリーズでもタイトル争いには到らず。翌13年にはGP3に活動の場を移した。だが戦績は奮わず、ランキング10位に低迷。チームメイトだったクビアトがシリーズチャンピオンに輝いたことで、先にF1へのステップアップを許す。なおこの年には、レッドブルでF1ドライブも経験。フォーミュラ・ルノー3.5にも後半戦にエントリーした。

 14年はフォーミュラ・ルノー3.5での活動に絞り、7勝を挙げてシリーズタイトルを獲得。翌年に向けたレッドブルのF1・2チームのドライバー選びには紆余曲折があったものの、最終的にはトロロッソの15年シートに指名を受ける。このF1進出を機に、それまでは「サインツJr.」を名乗っていたが、正式な登録名をカルロス・サインツに改めた。ついに最高峰到達で、父からの巣立ちを意思として表したものだ。

 F1ではデビューレースとなったオーストラリアで9位入賞を果たし、この年チームメイトだったマックス・フェルスタッペンにも遜色のない走りを見せる。翌16年もトロロッソ残留、しかし第5戦時点でフェルスタッペンがレッドブル昇格。替わってトロロッソに降格してきたクビアトをパフォーマンス的に圧倒し、他チームからの引き抜きがささやかれ始める。

 17年はトロロッソで3年目のシーズンを迎え、チームは翌18年からのホンダとのパートナーシップ締結を発表。これで事態が動いた。トロロッソとホンダの契約は結果的にそれまでのパートナーだったルノーに借りをつくるものであり、その見返りとしてサインツ譲渡を求められる。レッドブル契約下からの貸し出しという形で、ルノー移籍がアナウンスされた。

 当初は18年移籍との発表だったが、結果前倒しされ、この年の第17戦時点からのドライブとなった。18年はルノーでコンストラクターズ選手権4位躍進に貢献、一方でジュニアチーム時代からのレッドブルとの契約は期限を迎える。

 一時はダニエル・リカルド離脱が決まったレッドブル後任も取り沙汰されたものの、19年に向けて本人が選んだのは新天地マクラーレンとの複数年契約だ。同じスペイン出身で、強い影響を受けるフェルナンド・アロンソのシートを引き継ぐ形となった。

 18年のマクラーレンはシーズン序盤を除くと不振だったが、19年は好調に転じ、トップ3チームに続く選手権ポジションを堅持。第20戦ブラジルでは予選時のパワーユニットトラブルで最後尾スタートとなったものの、全車で唯一となる1ストップ戦略を成功させ、4番手でチェッカーフラッグを受ける。その後3番手フィニッシュだったルイス・ハミルトンが5秒のタイム加算ペナルティを受けたことで、正式結果は3位。裁定の遅れからセレモニー参加はならなかったが、自身初となるF1表彰台を記録した。

関連のフォト

ドライバーニュース

F1 News Ranking

本日のレースクイーン

BUSOU
久保エイミー(くぼえいみー)

F1 Photo Ranking

フォトランキング