──チームメイトであるジャン・アレジと一緒に仕事するのはどうでしたか。
ベルガー「今でも良い友達だよ。最初の出会いを思い出すと、つい笑いが込み上げてくる。ポール・リカールで片輪を草の上に落としながら、私を追い抜いていくドライバーがいた。1989年フランスGPの予選でのことさ。ピットに戻って、『ティレルに乗ってるあのクレイジーなドライバーは誰だ?』とスタッフに尋ねたくらいだよ。同時に、『あそこまで挙動をコントロールできるんだから大したヤツだ』と素直に認めてもいた。それがジャン(・アレジ)だった」
──ドライビングスタイルは、真逆じゃなかったのでしょうか。
ベルガー「コーナー入口で、ブレーキングする時の違いが大きかったんだろうね。ジャンは大きくモーションをつけてコーナーに入っていくタイプなので、たまにその出口でとっ散らかったりする時もある。私はジャンよりも上のギヤを使うことが多かった。コーナーをスムーズに回りたい私には、その方が合っていたんだ。でも、それは高回転を好むエンジン向きではないね」
──これは私見ですが、アレジほどの才能の持ち主がF1でたった1勝しかしていないというのは、タチの悪いジョークに思えて仕方がないのですが……。
ベルガー「フェラーリは政治的な駆け引きが幅を利かせる組織だから、その影響でドライバー同士が対立構図の中に取り込まれてしまう局面がたまにあった。でも、そうこうするうちに、ふたりで勝手にうまくやる方法を編み出していたよ。私が少し年長で、簡単には物事に動じなかったことも役立ったと思う」
ベルガー「振り返ってみると、当時のジャンは感情的になりすぎていた気もするね。才能で言うなら、もっと勝てていたはずさ。その一方で、もっと冷静かつ分析的に取り組んでいたら……とも考えるんだ。でも、それだと“ジャン・アレジ”ではなくなってしまう」
──大のイタズラ好きで有名なあなたが、アレジに仕掛けた極めつけをひとつ教えてください。
ベルガー「とにかく引っかかりやすい男ではあったよ。冬時間から夏時間に切り替わった頃合いに、真夜中の2時に彼の部屋へ電話したことがあった。『何事だ?』と聞くので、『時計を合わせるのを忘れちゃいけないと思って』と伝えたら、ジャンの怒るまいことか。それくらい簡単に、コロッと騙されちゃうヤツだね(笑) 彼に仕掛けたイタズラを全部挙げたら、本が一冊書けてしまう。あんなに性格のいい男はめったにいない。いまだに友人でいてくれるんだから、私は幸せ者だよ」

■後悔は微塵もない
──94年は悲惨な事故がいくつも起きて、その中でもローランド・ラッツェンバーガーとアイルトン・セナを相次いで失ったサンマリノGPは、魔の週末という言い方が決して誇張に聞こえません。
ベルガー「イモラの後はしばらくの間、私も自分の将来についてあれこれ考えてしまった。レーシングドライバーは恐怖についてあまり語りたがらないものだが、それにしても恐ろしい日々だった。自分の身に起きた事故のことを思い出さずにはいられなかったんだ。その一方で、いまだにレースをこよなく愛している自分に気づかされる。これを辞めてしまったら、その先どうやって生きていったらいいんだろう……と悩むわけだね。私は、とにかく性急な決断だけは避けようと自分に言い聞かせていた」
ベルガー「アイルトンとローランドの死、そしてカール(・ベンドリンガー)の大事故がすぐ後のモナコGPで起きて、情熱が失われたわけではないが、心にぽっかりと穴が開いてしまった感じがした。何も考えられなくて、一種の麻痺状態に陥っていたと言えるかもしれない」
──1995年限りでフェラーリを去ることになりました。まだこのチームで走り続けたいという思いはあったのですか。
ベルガー「95年になるとマシンはさらに良くなっていたが、フェラーリはV12コンセプトに固執しすぎたのだと思う。もっと早くにV10にシフトすべきだったということさ。あとは、マシンのボトム部分の仕様など、新しいレギュレーションが次々と導入されたことも大きかったね。いずれにせよ、マシンの操作性がどう変化するかなどは、大して話題にもならなかった。空力やアクティブサスペンション、そしてエンジンをどうするかで誰もが汲々としていたんだ」
ベルガー「私としては、96年もフェラーリで続けたいと思っていた。だからこそ、トッドがアラン(・プロスト)にF1復帰を呼びかけていると聞いて賛成したんだ。ところが、しばらくしてミハエルの招聘にも動いているらしいと聞き、コロリと気が変わった。フェラーリで彼と張り合うよりも、ベネトンでナンバー1ドライバーを務める方が断然いい。それが私の下した結論だった」
ベルガー「フェラーリがトップチームに返り咲くのを手助けする。その考えが気に入って舞い戻ったわけだが、結果を急ぎすぎたということが今ならよく分かるんだ。つまり、フェラーリは確かに復活を果たしたものの、私にとっては遅きに失したということ。私が思っていた以上に遅れていたという表現でもいいかな。開発を進めるにつれて、信頼性が失われていったのも予想外だったね。でも、後悔は微塵もないよ。6年もフェラーリに在籍したのは、こんなチームは他にないから。それで充分だろう。フェラーリで走り続けるという選択肢もあったのかもしれないが、もし未練なら、どこかで断ち切らなければいけないんだ」


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『GP Car Story Vol.47 フェラーリ412T1』では、今回お届けしたベルガーのインタビュー以外にも読みどころ満載。412T1の生みの親であるジョン・バーナードのインタビューは、10ページの大ボリュームでお届け。自身がデザインしたオリジナル版から大改造を受けた412T1への複雑な思いを、包み隠さず吐露している。
その他、エアロ担当のニコロ・ペトルッキによる412T1とT1Bの空力論、ベルガー担当エンジニアであるルイジ・マッジョーラによる現場で繰り広げられたセッティング作業の苦しみなど、これまであまり出てこなかったエピソードも!
また1994年よりフェラーリに加入した後藤治さんも、帰国のタイミングでお時間を頂戴し、独占インタビューを敢行。エンジンに関する話はもちろんのこと、エンジン技術者の視点で見た車両開発に関しての本音など、こちらも絶対必読の内容に。アレジのインタビューはもちろんのこと、GP Car Story初登場となるニコラ・ラリーニも、代打出場した2戦の複雑な思いを語っている。
まさに1994年は、フェラーリが上昇軍団へと生まれ変わる過渡期の最初のステップともいえ、やがて来る黄金時代という未来をイメージしながら読んでいただけると、点と点が線で結ばれる瞬間も感じ取ってもらえるはずだ。
『GP Car Story Vol.47 フェラーリ412T1』は3月15日から発売中。全国の書店やAmazonほか、インターネット通販サイトにて購入可能。内容の詳細は三栄オンラインサイト
(https://shop.san-ei-corp.co.jp/magazine/detail.php?pid=13185)まで。

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