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F1 ニュース

投稿日: 2019.10.10 13:13
更新日: 2021.04.14 01:08

1996年のF1王者デイモン・ヒルに聞くウイリアムズFW18。「少しも複雑じゃないところが最大の美徳」

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F1 | 1996年のF1王者デイモン・ヒルに聞くウイリアムズFW18。「少しも複雑じゃないところが最大の美徳」

──アラン・プロスト、アイルトン・セナ、ナイジェル・マンセル、クルサードと一緒に仕事をしてきたあなたは、ジャック・ビルヌーブをどう評価しますか?
「何ひとつ自らに恥じるところのないドライバー、とでも言っておこう。物事に対処する彼なりのやり方があって、それがかなり独特なんだけれども、彼はそれを決して隠したりしないで正々堂々とやる。面と向かって、『オレはこうするからね』と予め断ったうえでやられたら、不思議と腹は立たないものだ」

「一緒に仕事をするのは楽しかったよ。いつも自信満々で、その分強引なところもあったが、真正直な人間だと認めないわけにはいかない。彼とのバトルで不愉快な思いをしたことだって一度もないしね。真っ向勝負が彼の信条だから、決して汚い手を使ったりはしないんだ。ジャックのそういう部分は對敬に値するし、私は好きだったよ」

──オーストラリアで、あれほどの独走状態になると予想していましたか?
「ジャックとの一騎討ちは予想していた。実を言うと、あまり遅れずについてきてくれるといいな、と思っていたんだ。ところが彼にポールポジションを持っていかれてしまった。そのとき思ったのは、長いシーズンになりそうだということさ」

「自分がポールならもっと良かったが、ジャックが獲ったのもうれしかったよ。移籍早々やれることを証明したわけだし、チームの中で十分に役割を果たしてもらえると分かったからね」

「彼のファッションセンスはかなり大雑把だけど、ドライビングも似たところがあるんだ。縁石に乗るのはしょっちゅうだし、ヤバいなあと思って見ていると案の定スピンだからね。私は結構余裕で、彼の走りを後方から観察していたんだ。すると、コースアウトした拍子にどこかぶつけたらしく、オイルを飛ばしながら走っているのが分かった」

「私が無線で報告するまでもなく、ピットからあまり近づいちゃいけないと指示があったよ。ジャックのエンジンはいつブローしてもおかしくない、って言うんだ、おかしいだろ? 私は正直、ワンツー・フィニッシュならどっちが前でも構わないと思っていた。ジャックの走りもかなりアラが目立っていたし、直接対決になったら勝てると見極めがついていたからね」

同じ2世ドライバーのチームメイト、ジャック・ビルヌーブ(#6)とは激しいタイトル争いを展開しながらも険悪にはならず良好な関係を保っていた
同じ2世ドライバーのチームメイト、ジャック・ビルヌーブ(#6)とは激しいタイトル争いを展開しながらも険悪にはならず良好な関係を保っていた

──続く2レースも制して、開幕3連勝を記録しました。
「あまり褒めてくれる人はいないのだが、ブラジルは私のキャリアベストだと思ったりもするよ」

「グリッドに並んだ時は土砂降りの雨だったのが、突然雲間が切れて太陽が顔を出してね。遮るものもないクリアトラックが前方に広がり、水浸しの路面が陽光にまぶしくきらめいて、まるで夢のような光景だった。クルマはフルウエットなのに驚くほど従順で、まったくの独り旅で優勝を勝ち獲ったんだ」

■エイドリアンがいれば……

──シーズン半ばに、翌97年はハインツ‐ハラルド・フレンツェンがウイリアムズをドライブすると知らされましたが、そのあたりの経緯をお聞かせください。
「ドイツでそのことを知った。しかも直接じゃなく、メディアを通じてだ。確か英国オートスポーツ誌が、“ヒル解雇”とかの見出しを掲げていたんだ。私はワールドチャンピオンに手が届こうかという局面で、チームのために頑張っているドライバーにひどい仕打ちをするもんだなと思ったよ」

──フランク・ウイリアムズやパトリック・ヘッドからはどういう説明を受けたのですか?
「逃げ回っている感じだったね。すれ違ってもロクに視線を合わせないんだ。ハンガリーに向かう直前にフランクから電話が掛かってきて、チームのために決断を下さなければならないとか何とか、モゴモゴ言っていたよ。でもフランクには礼を言わなければね。人生最大のチャンスを彼から与えてもらったのだから。奪ったのも彼だけどね」

──そのことがあって、人生観が変わったりしましたか?
「ひどく腹が立ったし混乱した。私のロジックでは、自分に決定権はないにしても、レースに勝てばそれは私が任務を果たした証なのだから、チームはその働きに報いて翌年も契約を続行すべきだ、ということになる」

「ギャラで揉めたのだろうと盛んに噂されたが、金銭問題について私は何も知らない。ビジネスでやっているつもりは自分にはないので、すべて弁護士に任せていたんだ。自分のギャラがいくらかさえ知らなかったからね。ただ弁護士とフランクの関係が思わしくなかったのは想像がつく」

「その時すでにフレンツェンと契約を済ませていたことは、いずれ歴史が証明してくれるだろうね。ドライバーが3人いたら、誰かがあぶれるのは仕方がないし、彼らはジャックを残したかった。私は、95年にシートを失っていてもおかしくなかったくらいなんだ。96年の私の成績は彼らにとっても予想外の出来事で、それでウイリアムズは行き詰まってしまったのさ」

──レースキャリアをどうやって続けていこうと考えましたか?
「どこでも構わないから、エイドリアンがいるチームで仕事をしたい、というのが私の基本にあった。アロウズとの契約にサインしたのもそれが理由さ。その当時、1年契約で構わないと言ってくれたのはアロウズだけだったから」

「当然、その翌年にはマクラーレン入りを希望していたわけだが、残念ながら見送るしかなかった。ロンのオファーが腹に据えかねたからさ。実際にはとてもオファーとは言えないような条件だったんだけどね」

■お告げがあった?


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