シューマッハー自身は、続くイタリアGPでもジョーダンでレースをするつもりだった。エディーも正規契約に向けて準備を進めていた。

「メルセデスがF1に参入しない限り、向こう3年間はジョーダンで走る」という内容の仮契約はできていたという。しかし、メルセデス側は強引に正規契約を結ばせようとするエディーのやり口に不信感を募らせていた。

 さらに翌92年にはエンジンをフォードV8からヤマハV12に変更するプランにも賛成しかねていた。そんな時に常々ドイツ人スターを欲していたバーニー・エクレストンからベネトン移籍の話を持ちかけられたのだ。

ミハエル・シューマッハー(左)とロベルト・モレノ(右) 1991年F1第11戦ベルギーGP
ミハエル・シューマッハー(左)とロベルト・モレノ(右) 1991年F1第11戦ベルギーGP

 イタリアGP開始前日の木曜日の晩、エクレストンとベネトンのフラビオ・ブリアトーレはエディーの説得に尽力していた。シューマッハーを手放せば多少なりとも資金を確保できるし、実績のあるロベルト・モレノがその交換要員であり、決して悪い話ではないと……。

 夜通し続いた話し合いは、ジョーダンへの金銭的な保証が提示されたことでまとまる。あと数時間で金曜日のフリー走行が始まるというタイミングだった。後日談になるが、ジョーダンへ渡された小切手の中には、ペーター・ザウバー個人からのものも含まれていたという。
 
 実はこの年、シューマッハーにはフットワークからデビューする噂もあったと言われている。シーズン途中で重たいポルシェV12を諦め、DFRに鞍替えした予備予選常連チームからシューマッハーのF1キャリアが始まっていたとしたら、7度のタイトルと91勝という偉業は生まれなかったのではないかと思えてならない。
 
 そういう意味でジョーダンからの初陣からベネトンへの移籍は、正しいタイミングで正しい場所を選択できたことになる。

 その後、メルセデスもシューマッハーを拘束する契約が若者のキャリアに悪影響を及ぼすとして解除しており、すべてがF1史に名を残す偉大なチャンピオン誕生への基盤を築いていたことになる。ただし、シューマッハー本人はまだこの時点ではジョーダンから離れることの重要性を理解していなかった。

ジョーダン191に乗り込んだ後の“帝王”ミハエル・シューマッハー
ジョーダン191に乗り込んだ後の“帝王”ミハエル・シューマッハー

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