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海外レース他 ニュース

投稿日: 2020.09.30 12:39
更新日: 2020.09.30 12:40

「ブレずに、走りきった」松下信治の6年間と新たな決意。欧州で戦ってきた間、ずっと“真ん中”にあったもの

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海外レース他 | 「ブレずに、走りきった」松下信治の6年間と新たな決意。欧州で戦ってきた間、ずっと“真ん中”にあったもの

 折しも可夢偉からは、離脱に言及した松下のツイートに対し、「挑戦し続け、どんな困難なことにもひとりで立ち向かった彼の強い気持ちは、たくさんの人に勇気を与えた」というメッセージが届いた。可夢偉がこれを送ったのは、トラブルでル・マンでの優勝を逃した失意のさなかだったはずだ。

「スペインで勝ったときも『おめでとう』って言ってくれて、ああ、見ていてくれてるんだとすごくうれしかったです。そして今回は、結果ではなくいままでの行動を評価してくれた」

 可夢偉自身、悔しい形でF1を去っている。

「最後は自分で資金集めしたりしていましたしね。ただ僕との違いは、しっかりF1に行って、表彰台に上がっていることです。全然レベルが違う」

 松下にも、スーパーライセンスを獲れるだけの実力は充分にあったと思う。とくにスタートでの反応の速さ、タイヤマネジメントとブレーキングの巧さは、F2のなかでも群を抜いていた。けれどもそんな長所が、なかなか結果に結びつかない。今年の18インチタイヤへのてこずり方を見ても、決して何でも器用にこなすドライバーではない。

 しかし、ときにとんでもない勝ち方を見せてくれる。スペインでの17台抜きもそうだったし、2019年のオーストリアレース1での初優勝でも堂々たるオーバーテイクを披露した。アントワーヌ・ユベールが事故死した次戦モンツァで勝ったときには、ホンダドライバーであるにもかかわらず、表彰台でただひとりルノーのキャップを被って追悼の意を表す男気も見せてくれた。

 2015年、松下はほとんど英語も話せない状態でヨーロッパに送り込まれた。最初に住んだパリのアパートが僕の当時の自宅から近かったこともあって、何度も飯を食ったり、一緒にパリ市内を走ったりした。松下はそれからすぐに海外でのひとり暮らしにも、欧州流のレースにも適応していった。

 しかしGP2、F2での3年間で結果が出せず、2017年末に日本に帰ることになった。普通ならそこで気持ちを切り替え、国内でレースキャリアを積むことに専念するものだが、松下は往生際が悪いというか、F2をどうしてもあきらめきれない。

 ホンダに頼んでパスを発給してもらい、翌年のベルギーGPに自費でやってきた。F1やF2関係者にアポなしで会うためだ。パドックでいろんな人にかたっぱしから、必死に話しかける松下の姿を見て、呆れると同時にうれしくも思った。

 そしてレース活動費のほぼ全額を個人スポンサーで賄い、松下はF2に戻ってきた。今回改めて、2015年からのヨーロッパでの挑戦について訊いてみた。一番得たものは、何だったのかと。すると松下は、「得たものというか、むしろよかったと思ったことですけど」と前置きし、こんなふうに語り始めた。

「この6年間自分の思いやモチベーションが、まったくブレなかったことですね。ブレずに、走りきった。そのなかには挫折もあったし、苦しい時期もありました。普通なら日本に戻されれば、再挑戦の可能性はない。その意味で自分の行動は、すごく誇れるものだなと思います。罵倒されたりとか、悔しい思いもしてきましたけど、そういうのは自分の真ん中には届かない。自分の真ん中には、ちゃんとしたものがいつもありましたから」

 そして最後に、こう締めてくれた。

「F1に乗れる可能性だって、まだ捨ててないです。いろんなチャンスをものにしたいし、これからもF1をあきらめないと言い続けます。F1に限らず、世界を代表するドライバーになりたいですね」

 大丈夫。ノブなら、これからもやれるよ。


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