今年でF1日本グランプリ開催25回目を迎える鈴鹿サーキット。過去24回のレースの中からファンの投票により選ばれたベスト10レースを連載形式で紹介していきます。最終回となる今回は、第10位に選ばれた1987年のレースを紹介。この年F1フル参戦を果たした中嶋悟が母国レースで6位入賞を果たすと、サーキットはファンの大歓声に包まれました。
星野一義とともに1980年代の国内フォーミュラの一時代を築いてきた中嶋悟が、1987年に日本人として初めてF1にフル参戦を果たした。チームはこの年からホンダエンジンを搭載したロータスで、チームメイトはアイルトン・セナ。中嶋は開幕戦を7位でフィニッシュすると、第2戦で早くも6位入賞。第3戦で5位、第7戦で4位に入賞する活躍を見せた。
凱旋レースとなる第15戦F1日本グランプリの会場には中嶋を応援する横断幕が多数掲げられ、中嶋がコースインすると応援フラッグがサーキットを埋め尽くすほどだった。
「当時は『いつものレースと何も変わらずベストを尽くすだけ』と言っていたけど、やっぱり日本グランプリは感慨深いものがあったよ。ファンの応援が何か不思議な力を僕に与えてくれたんだ」とのちに語った中嶋。初めてのコースをすぐに攻略するライバルたちに驚きながらも、予選を自己最高タイの12番手で終え、ナイジェル・マンセル(ウィリアムズ)の欠場から、自己最高の11番グリッドから決勝レースを迎えた。
決勝がスタートすると、前方でストールしたマシンをうまくかわしジャンプアップ。第1コーナーで、インを閉める前のマシンをものともせず、アウトから一気に抜き去る「大外刈り」と呼ばれたオーバーテイクも披露し、一時は6つ順位を上げ5位を走る場面もあった。しかし大混戦の中で戦った中嶋は終盤7位に順位を落としていた。
ファンもチームも、そして中嶋自身もが願った「母国グランプリでの入賞」。あとひとつ順位を上げなければその願いは叶わない。しかし残り2周となったところで前のマシンがスローダウン。その横を難なくすり抜けた中嶋は見事6位でチェッカーを受けた。
中嶋のチェッカーとともにグランドスタンドは大歓声に包まれ、ウィニングランでは中嶋とともにスタンディングオベーションがサーキットを1周。文字通りファンとともに駆け抜けた中嶋初の母国グランプリだった。