ポルシェがフォルクスワーゲンの製作を受注してから75年

ポルシェミュージアムがフォルクスワーゲン・ビートルの貴重なプロトタイプを特別展示

ポルシェAG(本社:ドイツ、シュトゥットガルト 社長:Dr.ヴェンデリン・ヴィーデキング)は、1934年6月22日にその前身であるポルシェ設計事務所(Dr. Ing. h.c. F. Porsche GmbH, Konstruktionen und Beratung fu¨r Motoren- und Fahrzeugbau」)が、ドイツ帝国自動車産業連盟」(RDA)からフォルクスワーゲンの設計と製造を委託されました。このポルシェ創業期の中でも最も重要な1日として世界中に知られ、また自動車産業の歴史が転換したその日から75年の歳月が過ぎました。

経済情勢が厳しかった当時、世界中の自動車メーカーは手頃な価格の大衆車を作り上げることを考えていました。それまで、さまざまなメーカーのために7台のコンパクトカーやスモールカーの設計を手がけたDr. フェルディナンド・ポルシェもそのひとりでした。こうしたプロジェクトにおけるテクノロジーとデザインの両面にわたる究極の成果として、彼は1933年、フォルクスワーゲンのコンセプトカーを開発し、1934年1月17日、ドイツ運輸省に「ドイツ国民向け自動車のためのスタディー」(国民車)として提案しました。

当時のドイツ政府指導者もポルシェの開発者が描いていたのと同じ構想を抱いていたため、このスタディーを提案してから5ヵ月後、ポルシェ設計事務所は、政府主導によるこの車の開発を受注しました。受注当初の契約ではフォルクスワーゲンのプロトタイプ1台を製作することになっていましたが、1934年12月7日になるとRDAは、フェルディナンドの自宅ガレージで3台を組み立てるように依頼しました。

V1(V=試作車)と名付けられた最初のプロトタイプは正式な開発趣意書からちょうど1年後に準備が整い、フェルディナンドは1935年7月3日にRDAの技術委員会にこのセダンを提案、一方、コードネームV2が与えられたカブリオレタイプの2番目のプロトタイプは1935年12月22日に最初のテスト走行を行っています。

3台目のプロトタイプ、コードネームV3の組み立てが1936年2月に始まると、RDA内部でプロジェクトに対する反対意見が起こり始めました。その理由はきわめて単純なものでした。ポルシェが開発したバックボーンフレームとトーションバー・サスペンションを備え、空冷水平対向4気筒エンジンを搭載したこのフォルクスワーゲンが、既存のモデルに脅威をもたらすものと捉えられたからでした。それにもかかわらず、1937年にはVW30と呼ばれたプロトタイプ30台が当時のダイムラーベンツAGで生産され、240万kmにわたる大規模なテスト走行が行われました。

1936年7月4日、政府はフォルクスワーゲンをドイツの各自動車メーカーによる合弁事業として生産するという当初の考えとは逆に、専門のメーカーで組み立てることを決定、これにより1937年5月28日、ドイツ・フォルクスワーゲン製造社(略称“Gezuvor”)が設立されました。

この会社のマネージングディレクターのひとりとなったDr. フェルディナンド・ポルシェは、1938年5月にファラースレーベン(現在のウォルフスブルグ)で予定されている生産の開始に先立ち、生産工場の企画立案と技術開発を正式に依頼されます。当時、フェルディナンドはアメリカを2度視察し、自動車生産の最新のノウハウと生産工程で守るべき基準を学んでいます。

1938年の下半期には、生産型モデルに近いプロトタイプVW38の開発が行われました。またフォルクスワーゲンの購入を考えている人々は、1週間に5ライクスマルクを積み立てることができるようになりました。その間にフォルクスワーゲンは、ドイツ政府の「Kraft durch Freude」(喜びを通じて力を)というスローガンの一環として「歓喜力行団の車」と名付けられます。

990ライクスマルクというきわめて安い価格が設定されたフォルクスワーゲンは、まさにすべての人々のための車で、ごく平均的な収入の人でも手軽に手に入れることができる一台でした。約34万人が積立金を支払いましたが、第二次世界大戦が勃発したため、実際には一台も納車されることはありませんでした。

1939年になると、フェルディナンドは「歓喜力行団の車」と並行して、フォルクスワーゲンの派生モデルの開発に着手します。しかしこれらの派生モデルは軍用を目的としたもので、ジープ型のキューベルワーゲン、水陸両用車のシュヴィムワーゲン、指揮官用の指揮車は終戦までに合計で60,000台以上生産されました。中には4WDシステムを装備したものもありました。

フォルクスワーゲンをベースにしたもうひとつのモデルが、1939年に作られたタイプ64「ベルリン・ローマ・ワーゲン」です。これは1939年9月に予定されていたベルリン・ローマ間の長距離レースに向けて開発された、フォルクスワーゲンのモータースポーツ仕様で、自動車史の専門家の間ではポルシェの現行スポーツカーモデルの原型として知られています。ベルリン・ローマ・ワーゲンは当時最先端のアルミニウム製ボディに、フォルクスワーゲンのパワーユニットを改良したボクサーエンジンを搭載し、最高速度は145km/hに達しました。

「フォルクスワーゲン・ビートル」と呼ばれる一般向けのフォルクスワーゲンは、1945年の夏にウォルフスブルクで生産が始まり、過去にも現在にも例のない人気を世界中で集めました。

ビートルは生産期間と生産台数においても記録を打ち立てています。最後のビートルは2003年7月にメキシコ工場からラインオフされ、ビートルの累積生産台数2,150万に達し、自動車史上最多の記録を誇っています。

ポルシェミュージアムではフォルクスワーゲンの設計、製造の依頼を受けてから75周年を記念し、2009年6月22日から7月31日までの期間限定で特別展示会を行っています。この展示会ではポルシェAGのヒストリーアーカイブが所蔵する当時の写真や詳しい資料に加え、戦前に製作された貴重なフォルクスワーゲンのプロトタイプを公開します。そのひとつがフォルクスワーゲン財団所蔵のVW38で、フェルディナンド個人が出張などの際に使用していた車です。また、ポルシェが1950年の初めに製作した、ビートルのディーゼルエンジン仕様のプロトタイプも併せて展示されます。

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