「メルセデス最速」という風景が塗り変わったシンガポールGP。ポールポジションから完璧な勝利をつかんだセバスチャン・ベッテル。予選から積み上げていた勝つための手ごたえ、あらゆることが起こりうるストリートコースで、ライバルを翻弄した王者の走りを、今宮雅子氏が描く。
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予選Q3最後のアタックが、セバスチャン・ベッテルとフェラーリのシンガポールGPを象徴していた。1回目のタイムを0.42秒も短縮するパフォーマンスは、ベッテルが何よりも大切にする“リズム”をつかみ、23ものコーナーを完璧に自分のものにした証拠だ。
数字だけを見るなら、先にアタックしたライバルたちが1回目のトップタイムを破れなかった時点で、ベッテルは最後のアタックを止めてしまってもよかった。それが今日のF1のトレンドだ。しかしフェラーリは、その指示を出さなかった。ベッテルは「他のドライバーのタイムを知らなかったし、あそこで止めることに意味はないと思った。何より最高のフィーリングだったから」と、最後まで攻めた理由を説明した。
予選は、ドライバーにとってレースとは異なるスポーツ。ウォールすれすれのラインを限界スピードで通過するドライバーの挑戦を、フェラーリは敬意を持って見守った。非日常の集中力でマシンと一体化し、困難な市街地コースを完璧に掌握する達成感が、レースに向けて精神面でも大きなプラスとなることを、彼らは理解していた。
数字や洗練された計算だけでは手に入らない、シンガポールという特異なグランプリ。不確実な要素をすべて自分たちの流れに引き寄せたのは、フェラーリとベッテルが発揮した、ある意味プリミティブなレース精神、レース勘だったと思う。
打倒メルセデスの目標を掲げてシンガポールに挑んだのは、フェラーリとレッドブル。軟らかいタイヤと高温のコンディションはフェラーリが得意とする条件。もちろんレッドブルには空力ダウンフォースという強みがある。それに──エンジンパートナーとの関係が最悪に陥っている彼らは決して口にしないが──ルノーのパワーユニットには“ドライバビリティ”という強みがある。FP2で最大の注目を集めたのはダニエル・リカルドがスーパーソフトを履いて行ったロングランであったが、そこにはハイダウンフォース仕様のレッドブル+リカルドのタイヤマネジメント能力に加えて、低速からスムーズにトルクを発揮するパワーユニット特性も貢献している。
メルセデスの不調に関しては、ピレリの指定する内圧やキャンバー等々の取り締まりが今回から厳しくなったことが、どの程度影響したか定かではない。だが「マシンの能力は落ちていないのにタイヤが作動しない」というドライバーの悩みは事実。特にスーパーソフトで悩みは顕著に表れた。アタックするとミスにつながる。抑えて走ると、ますますタイヤにスイッチが入らない……悪循環なのだ。
メルセデスがこうした悩みを抱えることは珍しいため「内圧規制が影響しているのでは」と誰もが想像するが、視野を広げて全チームを見れば、ピレリタイヤがこのような悩みを生み出すことは稀ではない。とりわけメルセデスが得意とする硬めのコンパウンドが投入された場合など、路面温度が少し下がれば、難なくタイヤを作動させているのはメルセデスだけというケースも多々あるのだ。
今回、たとえば同じフェラーリでも、ベッテルと異なるスタイルを持つキミ・ライコネンはタイヤの悩みを抱えた。フロントが入らない、リアが滑る、トラクションが得られない……すべてタイヤのグリップ不足による症状だ。
「ミスが許されないこのコースでは、マシンを信頼して自信を持って攻められるかどうかによって大きなタイム差が生まれてしまう」というのは、ベッテルの言葉。
レースはベッテルがポールポジションから、きれいに発進。驚くべきはその後わずか1周で、2番手のリカルドに3秒もの差をつけてしまったこと。
フェラーリvsレッドブル。オーバーテイクの難しいコースで作戦勝負になることは明らかで、ベッテルにとって重要だったのはスタートで首位の座を守ることと、リカルドをDRS圏外まで引き離すこと。それによって“アンダーカットさせない”自分たちの作戦を強固にするのだ。
第1スティント後半、ベッテルがわずかにペースを落としはじめると、リカルドは徐々にペースアップ。しかし、いったんは5秒以上まで広がっていたふたりの間隔が3秒台まで接近したところで、3コーナーでのニコ・ヒュルケンベルグとフェリペ・マッサの事故によってバーチャルセーフティカーが導入された。13周目という周回は、すでにタイヤ交換のウインドウに入っており、これはペースが落ち始めていたフェラーリにとって最高のタイミング。一方でタイヤに余力を残し、アンダーカットが可能な距離まで接近しようとしていたリカルドにとっては、序盤にセーブしたタイヤを活かせない最悪のタイミングになった。
「(アンダーカットに成功するという)保証はなかったけれど、セーフティカーを見たときにはフラストレーションを感じた」と、リカルドは説明する。
「ただ、ピットストップがもう1回あることはわかっていたから、同じようにもう一度チャンスを作っていくことは可能だと思っていた」
第2スティント序盤はベッテルも慎重に走った。互いにスーパーソフトのニューセットを履いた状態で、このスティントは20周以上の走行が必要になる。2台の間隔は1秒以内。ところが27周目、ベッテルが突然2秒以上ペースを上げたことによって差は3秒近くまで広がった。この駆け引きを、ベッテルはこう説明した。
「第2スティントは第1スティントとは、まったく逆の作戦で走った。ダニエルにとっても他の誰にとっても、残り40周をプライム1セットで走破することは不可能だとわかっていたから」
タイヤ交換には早すぎる段階ではアンダーカットを心配せず、リカルドにペースを合わせてスーパーソフトの性能を維持することに努めた。
「残り35〜36周くらいのところ(つまり25〜26周目)で、ピットインの可能性が近づいていることはわかった。同時に、メルセデスの1台がプライムを履いていることも知っていたから、彼らが最終スティントをオプションで攻めてくる可能性もあった。そこで『あと2周だ』と。その後ピットストップのウインドウが開こうというところでペースを上げて、ダニエルがピットインしてもアンダーカットができないだけの差をつけようとした」
すべてうまくいったとベッテルは満足げな笑顔。結果として、2回目のピットも37周目のセーフティカー出動によって決まってしまったが、27〜32周目までベッテルが連続して1分50秒台のハイペースで走行したことは、少なからず、作戦勝負に賭けていたレッドブルを困惑させたに違いない。
セーフティカーの原因は、コースに侵入したファン。「幅寄せして、びっくりさせてやろうかと誘惑にかられた」──悔しさのなかでも、リカルドはユーモアを忘れない。
セーフティカーは、確かに、フェラーリに有利に働いた。しかし、フェラーリがセーフティカーを“有利に働かせた”と表現することもできる。彼らは何があっても心を乱されることなく、いつセーフティカーが出動しても必ず自分たちのポジションを守れるよう、絶妙な作戦を取っていたのだから。忘れてならないのは、それがチーム全員の力に支えられたものであったこと。ベッテルが2回のストップでピットレーンにいた時間は合計58秒445──これも全車中ベストの記録だ。
ベッテルとライコネンが赤いスーツを着て表彰台に並んだのは初めて。その気分を訊かれたベッテルは「いままでと変わりはない」と答えた。
「僕はずっと前からキミが大好きだったから。僕がF1にやって来た最初の日から、いちばん敬意を示してくれたのがキミだった。当時の僕は無名で、彼はすでに偉大なチャンピオンだったのに。あの日からキミはまったく変わらない。みんながキミを好きなのは、ややこしい部分がなく、純粋にレースのためだけにここにいるからだと思う」
同じ質問を受けたライコネンは「たぶん、僕にとっては少し違う」と言った。
「誰でもチームメイトを負かそうとしているし、勝つときも負けるときもあるけれど、最終的にはチームがいい成績を上げられるとハッピーになる。だから自分が3位で彼が優勝するなら、セブが他のチームにいるより、ふたりで同じフェラーリにいるほうがいい。そうすればウィン・ウィンの関係だからね。この数日の僕はベストではなかったけれど、彼のほうが速かったことは潔く認めるよ」
ライコネンに、こんなに話をさせるベッテルは見事。モノトーンから脱却した表彰台は、こんなに華やか。長く厳しいレースのあと、3人のシャンパンがはじけるとファンの心もほろ酔い気分──高揚した気持ちが、夜のシンガポールから鈴鹿に飛んでくる。