近代F1で数々のチャンピオンマシンを生み出し、“技術の天才”として名高いレッドブルのエイドリアン・ニューエイが、ヨーロッパF3選手権に参戦しているオランダのファン・アメルスフールト・レーシングを支援することになった。
英国オートスポーツによると、ニューエイはフォルクスワーゲンのエンジンを使用するダラーラのシャシーを担当、チームのエンジニアに力を貸すという。レッドブルF1での仕事のかたわら、VARでF3にも関与する“副業”のかたちとなるようだ。すでにニューエイは最近レッドブル・リンクで行われたF3テストで目撃されているが、チームはニューエイ起用についてのコメントを避けた。
ニューウェイの息子であるハリソン・ニューエイは今季BRDC F4に参戦、シリーズ2位で終えている。またドイツF4にファン・アメルスフールト・レーシングから出場、同チームで初のF3テストも経験している。ニューエイJr.は、すでに来季ヨーロッパF3参戦を決めている2度のブラジルF3王者ペドロ・ピケのチームメイト候補に挙がっている。
ハリソンが同チームからF3を戦うことになれば、父ニューエイは技術面で息子を強力にバックアップすることになるかもしれない。
参考:ファン・アメルスフォールト・レーシングの歴史
1975年、チーム設立。フリッツ・ファン・アメルスフォールトが家族経営をしていたガレージで、地元出身のヒューブ・ロテンガッターと親しくなる。ロテンガッターはFF1600のマシンを持ち込み塗装を依頼、これをきっかけにファン・アメルスフォールトがロテンガッターのメカニックとなる。
ファン・アメルスフォールト・レーシングはFF1600でマールボロが支援するベネルクスのドライバーを走らせるためのチームとなっていたが、1992年に当時まだ若いカート乗りだったヨス・フェルスタッペンの起用とともにオペル・ロータス選手権へスイッチして、タイトルを獲得する。
1996年、バス・ラインダースが、ファン・アメルスフォールト・レーシングでオペルロータス・ユーロシリーズ初代チャンピオンとなる。翌年ラインダースとともにドイツF3へ参戦、1998年にチャンピオンを獲得。
2007・2009・2011年 フォーミュラ・フォード、フォーミュラ・ルノーから再びドイツF3へ挑み、カルロ・バン・ダム、ローレンス・バントール、リッチー・スタンアウェイらとともにタイトルを獲得。
2012年シーズン終盤、戦いの場をヨーロッパF3へと移す。
2014年はマックス・フェルスタッペンを起用。ヨス・フェルスタッペンとロテンガッターの指導のもとシリーズ3位に入り、マックスは翌年F1デビュー。
2015年、ヨーロッパF3にてシャルル・ルクレールと勝利を重ねる。新チーム体制でドイツF4にも参戦。ミハエル・シューマッハーを父に持つミック・シューマッハー、エイドリアン・ニューエイの息子ハリソン・ニューエイを走らせた。