AFコルセの走らせる71号車フェラーリ458で初のル・マン24時間耐久レースに臨んだ小林可夢偉は、表彰台獲得こそならなかったものの、クラス5位と伝統の耐久レースを完走で終えた。
今年で90周年を迎えたル・マン24時間は、ドライとウエットが入れ替わる難しいコンディションのなかで推移。クラッシュも多発し、セーフティカーの出動回数も10回を超える展開となった。
可夢偉は、レース開始から約2時間半というタイミングで、まずはスタートドライバーのトニ・バイランダーと交代する形でコースイン。ドライタイヤで周回を重ねていたが、チームは1度目のピットストップの際に危険なリリースを行ったとしてストップ&ゴーペナルティを受けていた。そのペナルティを消化した可夢偉は9番手でコースへ戻ると、1つポジションを上げて、クラス8番手でチームメイトのオリビエ・ベレッタへとステアリングを託した。
可夢偉にとって初となるレース中のナイトセッションでは、途中セーフティカーランを挟みながらも、その時点でクラストップを走っていたアストンマーチンと同等のハイペースで走行。3スティントをこなしてコースイン時の7番手から6番手に上げ、再びベレッタへと交代した。
最後の走行でも、雨の入り交じる難しいコンディションのなか、残り2時間を切るまで連続4スティントを走行し、4番手というポジションで最後の走行を担当するバイランダーへバトンタッチ。表彰台への望みをつないだ。
ただ、その後バイランダーが残り1時間半というところでコースアウト。後方の73号車シボレー・コルベットにかわされてしまう。なんとかポジションを取り戻そうと粘りの走りを見せた71号車だったが、最終的にはクラス5位、総合21位でチェッカーを受けることとなった。
レース後、自身のTwitterで「マジで疲れた!」とまずは率直な感想を綴った可夢偉。続けて「チームもチームメイトのトニ、オリありがとう! そして眠い目こすって応援してくれた皆様ありがとうございました!」と、ともに戦ったチームやファンに感謝の念を表した。
ただ、「これがBoP(バランス・オブ・パフォーマンス=性能調整)です!」、「悔しいけど仕方ない!」とも綴り、予選後にも語っていたように、BoPによって引き起こされたフェラーリ勢の相対的な戦闘力の低下が少なからず結果に影響したことを示唆した。