2010年のモータースポーツシーズンもほぼ終わり、世間は師走まっただ中。今年はどんな1年だったか、その年のうちに振り返ってみましょう……ということで、オートスポーツweb上で注目を浴びたニュースを、テーマごとにひとまとめ。4回目となる今回は、惜しまれつつも2010年に亡くなったモータースポーツ関係者を振り返ります。

1月
 富士スピードウェイやスポーツランドSUGOでの国内モータースポーツの数々のビッグレースで競技長を務め、奥州VICICの会長としてモータースポーツの振興に努めてこられた中村靖比古さんが1月亡くなられました。

【訃報】中村靖比古さん死去 奥州VICIC会長、国内主要レースの競技長

2月
 D1グランプリのトップドライバーのひとりで、“あっちま”の愛称で親しまれた黒井敦史選手が2日、突然の事故により急逝。Team TOYOのドライバーとして高速コースで繊細なマシンコントロールを披露してくれていました。

【訃報】D1ドライバー・黒井敦史が急逝

6月
 トヨタ自動車の数あるテストドライバーのうち、優秀なドライバーを“トップガン”と呼びます。そのトップガンの中でも代表格で、近年はトヨタ/GAZOO Racingのニュルブルクリンク24時間挑戦を進めていた成瀬弘さんが6月下旬、ニュル周辺で車両評価中、突然事故死されました。

“レクサスLFA生みの親”成瀬弘さんがドイツで事故死

 成瀬さんは豊田章男トヨタ自動車社長の信頼も厚く、豊田社長はブログで悲しみを綴りました。

豊田社長、突然の訃報に悲しみ「言葉もありません」

8月
 8月には、全日本F3選手権に参戦するACHIVEMENT by KCMGの監督、織田一彦さんが亡くなった。元レーシングドライバーだった織田さんは、若手育成やマーケティングでその手腕を発揮されていました。

【訃報】ACHIVEMENT by KCMG監督・織田一彦さん死去

10月
 レーシングオンやF1速報をはじめ、数多くの雑誌に寄稿。独特の軽妙な文章で日本のF1文化の発展に大いに貢献されたモータースポーツジャーナリストの西山平夫さんが闘病の末亡くなられました。2010年はトルコGPまで取材活動をされておりましたが、母国日本GPの開催直前、突如編集部にも悲報が入ってくることとなりました。

【訃報】モータースポーツジャーナリスト西山平夫さん死去

 また、同日にはF1ロータスのチームマネージャーとして数多くの実績を残したピーター・ウォーが心臓発作により死去。ウォーはは元ドライバーで、1963年の日本グランプリでも優勝を果たしたり、マネージャーとしてロータス・ホンダの実現にも関わるなど、日本ともゆかりの深い方でした。

【訃報】ロータスの元ボス、ピーター・ウォーが死去

11月
 スーパーGTの今季シーズン開幕の頃から、スーパーGTをはじめWTCCなど、世界中で骨髄バンク登録に向けた社会貢献を進めるきっかけとなったアンドレ・クートのご子息、アフォンソ君が闘病むなしく亡くなられました。アフォンソ君は一度は手術が成功するものの、その後別のタイプの白血症が発症。スーパーGT全体にも深い悲しみが訪れました。

アンドレ・クートの愛息アフォンソ君、闘病の末亡くなる

12月
 1980年代、ジャガーでのグループA/グループC活動、1990年代のベネトンやアロウズでの活動など、『トム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)』として世界中のモータースポーツファンにとっておなじみの存在だったトム・ウォーキンショーが癌のため亡くなられました。
 今年のモナコGPまではF1パドックにも姿を見せていました。

トム・ウォーキンショー、ガンで亡くなる。64歳

 心から哀悼の意を表します。

本日のレースクイーン

村上楓むらかみかえで
2025年 / スーパーGT
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