元レーシングドライバーであり、その後F1エンジンビルダーとして活躍したブライアン・ハート氏が病気のため死去した。77歳だった。

 ハート氏はレーシングドライバーとしてのキャリアの後、エンジンビルダーに転身した。
 1969年、ブライアン・ハートLtdを設立。さまざまなカテゴリーにおいて他のマニュファクチャラーのエンジンのチューニングおよびサービスに携わり、フォーミュラ2においてフォードエンジンを手がけた。

 フォードがF2から撤退した後、ハートは自身のエンジンを開発、トールマンチームと提携し、1980年にはヨーロッパF2選手権でランキング1位と2位を獲得という、大成功を収めた。

 これによってチームは1981年にF1に参戦、少ない予算で苦労するが、1983年、ハートの415Tターボエンジンを使用するトールマンは数回にわたり入賞を達成。1984年にはハートはRAMやスプリットにもエンジンを供給、トールマンのアイルトン・セナが自身およびハートにとって初となる表彰台を獲得した

 1985年、トールマンはテオ・ファビによって初のポールポジションを獲得する。しかし大手メーカーが多額の資金で戦うなか、ハートは1986年でF1から撤退することとなった。

 しかし1993年、ハートはV10 3.5リッターNAエンジンをジョーダンに供給する形でF1に復帰。1994年にはルーベンス・バリチェロが表彰台とポールポジションを獲得している。

 1995年はフットワークと提携し、ジャンニ・モルビデッリによってF1で最後となる表彰台を獲得した。
 1996年にはフットワーク、1997年にはミナルディにエンジンを供給したが、この年、ブライアン・ハートLtdはトム・ウォーキンショー・レーシングに買収され、F1の世界から「ハート」の名前が消えることとなった。

本日のレースクイーン

生田ちむいくたちむ
2026年 / スーパー耐久
ELECTRO IMAGING EL GIRLS
  • auto sport ch by autosport web

    SUPER GT PARADE LAP EP.1 Produced by autosport web

    禁断のGT500スワップ企画!?
    プレリュードのコクピットを千代勝正と坪井翔がチェック!

  • auto sport

    auto sport 2026年10月号 No.1624

    フォーミュラ一騎打ち
    勝負の最後はやっぱり『人間』

  • asweb shop

    F速 Premium Vol.3
    角田裕毅 現在・過去・未来

    2,100円