クビサとイェは、ポーランドと中国というそれぞれの国で、この権威あるレース史上初の優勝を果たし、歴史に名を刻んだ。イェの勝利以前、ル・マンにおける中国の成功は限られたものだった。2008年には、コンフ・チェンがソルニエ・レーシングでLMP2の表彰台を獲得していた。
2010年代後半には、JOTAの運営によるジャッキー・チェンDCレーシングでデビッド・チェン(北京生まれ、幼少期にアメリカに移住)とホーピン・タン(オランダ生まれだが中国にルーツを持つ)がLMP2クラスで活躍。2017年にはともに好成績を収めた。
そして今年、イェがついに中国勢初のル・マン総合優勝を果たしたことで、母国では大きな注目を集めることとなった。
「(ル・マン後に)中国には数日間滞在したけど、インタビューやファッション誌の撮影など、仕事で大忙しだった」とイェは語る。
「レース界だけでなく、その外側からも注目を集めることができて嬉しい」
「そして今、ある監督から映画の端役での出演依頼も来ているんだ。本当に素晴らしいことだよ。僕自身、4年前の2021年、最終ラップでマシンがストップした時に、ロバートとLMP2クラスで優勝するチャンスがあったと思っている」
「昨年も、終盤までは非常に良いパッケージだったと思う。残念ながら、残り4時間でマシンにトラブルが発生し、優勝争いから脱落してしまった。だから、これは僕らにとって一種のリベンジと言えるだろう」
「もちろん、この勝利で僕ら、フェラーリ、そして故郷での僕自身に大きな注目が集まった。素晴らしいことだ。これを機にキャリアをさらに築き上げることができて嬉しい」
イェにとっては、サーキットの脇に住む少年時代から世界最高峰の耐久レースで優勝するに至る、まさに円環の瞬間だったと言える。
だが、疑問は残る。何年も前に窓の外を見ていたイェは、ル・マン優勝者のリストに自分の名前を加えることを想像できていたのだろうか?
「もちろん、ル・マンに住んでいれば、毎年レースを観戦するものだ」と彼は言う。
「自分がル・マンで走っている姿は想像できたけど、24時間で優勝できるなんて信じられなかった。優勝に近づきながらも、一度もそれを手にしたことのない優秀なドライバーはたくさんいるからね」
「最終的にはスピードとスキル、そして運も必要になる。だからすべてがうまくいって、僕はこのプレゼントをもらえたんだ」

