F1 チーム詳細

F1 | フェラーリ 2020年

フェラーリ

イタリア

●チーム本拠地:イタリア・マラネロ
●デビュー:1950年第2戦モナコGP
●活動年:1946年~
●出走数:991
●勝利数:238(初優勝:1951年第5戦イギリスGP/最新優勝:2019年第15戦シンガポールGP)
●PP獲得数:228(初PP:1951年第5戦イギリスGP/最新PP:2019年第17戦日本GP)
●コンストラクターズタイトル:16(1961、64、75~77、79、82~83、99~2004、07~08年)
●ドライバーズタイトル:15(1952~53、56、58、61、64、75、77、79、2000~04、07年)

2019年F1成績
●PP:9回
●優勝:3回
●FL:6回
●表彰台獲得率:45.23%
●入賞率:80.95%
●完走率:90.47%

●主要チームスタッフ:
マッティア・ビノット(チーム代表)
アントニオ・フオコ(シミュレータードライバー)
ダビデ・リゴン(テストドライバー)
ブレンドン・ハートレー(開発ドライバー)
パスカル・ウェーレイン(開発ドライバー)

■フェラーリ プロフィール

 フェラーリはF1の象徴であり、神格化された名前とその存在だ。理由としては、1950年の『F1世界選手権』創設以来、1年も欠かさずに参戦を続けてきた唯一のチームであること。もうひとつは、いまなお語り継がれる創業者エンツォ・フェラーリの絶対的カリスマ性からだ。

 レーシングドライバー出身のエンツォは、その現役時代にアルファロメオをドライブ。アルファロメオの販売代理店も営んでいた。そこから派生する形で1929年、自らの名を冠したレーシングチームを設立。これが第1期の『スクーデリア・フェラーリ』となる。

 32年に息子ディーノが生まれたのを機に、ドライバーからは引退。マネージメントに専念し、一時的にレース活動から手を退いていたアルファロメオからクルマを借り受け、セミワークスチームとしての活動を始める。その後アルファロメオがワークス体制を復活させると、この『第1次』フェラーリは吸収合併され、エンツォはチームマネージャーに就任した。

 だが当時の経営陣と対立し、39年にアルファロメオを去った。このとき、4年間はフェラーリの名前でレース活動を行なわないとの約束がされた。40年には別名で自動車会社を立ち上げ、製造したクルマでレース参戦も開始したが、第二次世界大戦の激化で活動は立ち消えとなる。戦後、47年に改めて自動車会社を設立、社名をフェラーリとし、『スクーデリア・フェラーリ』としてのレース活動も再開させた。このときから、本拠地をマラネロとする。

 そして50年、F1世界選手権が創設されると、初年度から参入する。翌51年、シルバーストンで開催されたシーズン第5戦。前年から出走したレースで全勝中だったアルファロメオを打ち破り、ついにフェラーリはF1初優勝を果たす。このときエンツォが吐いたとされる「私は母親(=アルファロメオ)を殺してしまった」との言葉は、いまもF1史に深く刻まれている。フェラーリは続く2レースも連勝。シーズンを終えると、アルファロメオはF1のワークス活動から撤退した。

 これを機にイタリアを代表するレーシングチームの座は、フェラーリへと移る。52、53年は出走したレースに14連勝。エースのアルベルト・アスカリがドライバーズ選手権を連覇して、初タイトルを持ち帰る。56年ファン・マヌエル・ファンジオ、58年マイク・ホーソーンもフェラーリ所属で同タイトルを獲得した。なお58年にF1にはドライバーズ選手権に加え、コンストラクターズ部門が新設されるが、その初代王座は英国のバンウォールに奪われている。

 コンストラクターズ王座は61年に初獲得、フィル・ヒルのドライバー部門と2冠を達成。64年もジョン・サーティースのドライブで2冠を制した。

 一方でこの時期、自動車会社としてのフェラーリは経営不振に陥り、69年フィアット傘下に入る。だがレーシングチームとしてのフェラーリ、『スクーデリア』は依然としてエンツォが指揮した。

 73年、のちにフェラーリ社長となるルカ・ディ・モンテツェモロがチームマネージャーに就任。エンツォから体制が引き継がれた。新体制はチーム立て直しに成功し、ドライバーズ選手権は75、77年のニキ・ラウダ、79年のジョディ・シェクターと3回、コンストラクターズ部門は75~77年に3連覇、79年にもタイトルを獲得した。

 だが80年代からは、一転して暗黒の時期が訪れる。82、83年とコンストラクターズ選手権を連覇したが、伝説のドライバーとして知られるジル・ビルヌーブが82年に予選中の事故で死去。以後、長い期間、両タイトルの獲得からは遠ざかる。

 エンツォも88年8月、90歳でこの世を去った。これによって、『スクーデリア』もフィアットが全権を握る。特筆されるのは、エンツォの死から約1カ月後のレースだ。相手の自滅によるものとはいえ、聖地モンツァでフェラーリは1-2を決め、この年のマクラーレン・ホンダ全勝を阻止した。

 90年にアラン・プロストの手でF1通算100勝。だがこの年のドライバーズ王座をもう一歩のところで逃すと、やはり復活への道は遠い。そして96年を前に2年連続王者のミハエル・シューマッハー獲得に成功すると、完全に彼中心のチーム体制をつくった。

 99年、そのシューマッハーがクラッシュで脚を骨折して6戦欠場の事態はあったものの、16年ぶりにコンストラクターズ王座を奪回。新組織体制は軌道に乗り、2000年はシューマッハーが実に21年ぶりのドライバーズタイトル獲得をもたらす。04年までコンストラクターズは6、シューマッハーは5まで選手権連覇を延ばし、F1にかつてない黄金期を形成した。シューマッハー離脱後も07、08年にコンストラクターズ部門、07年にキミ・ライコネンがドライバーズ王座に就くも、以降は無冠。

 ふたたび苦難の時代が続くが、F1での通算勝利、ポールポジション、ファステストラップ、チャンピオンドライバーの輩出、コンストラクターズタイトルは、すべて歴代トップの数字が並ぶ。長い歴史からすれば当たり前とも言えるが、そういう意味でも『跳ね馬』はやはりF1の象徴なのだ。

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