F1ドライバー

F1 | ルイス・ハミルトン(Lewis Hamilton) 2024年

ルイス・ハミルトン(Lewis Hamilton)

イギリス / メルセデス-AMG・ペトロナス・フォーミュラ1チーム /

ゼッケンNo. :44

●国籍:イギリス
●生年月日:1985年1月7日(39歳)
●身長/体重:174㎝/66㎏

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2023年成績
●出走:22回
●優勝:0回
●表彰台:6回
●入賞:20回
●完走:20回
●PP:1回
●ドライバーズランキング:3位/234ポイント

通算成績
●F1デビュー:2007年第1戦オーストラリアGP
●在籍チーム:マクラーレン(2007~12年)→メルセデス(2013年~)
●出走:332回
●優勝:103回
●PP:104回
●表彰台:197回
●ドライバーズ選手権最上位:1位(2008年/マクラーレン、14~15年、17~20年/メルセデス)

■ルイス・ハミルトン プロフィール

 父方の血はアフリカを起源とし、祖父の時代にカリブ海の小国グレナダから英国に移住してきた。父は英国人として家庭を設け、その長男として生まれるが、両親はわずか2歳で離婚した。

 意外なところから、その才能は見出された。当時ハミルトンは母と暮らしていたが、6歳のときに父からラジコンカーをプレゼントされる。そのラジコンで、大人も参加する大会で好成績を収めた。これは実際のクルマをコントロールする能力にも長けていると考えた父は、その年のクリスマスプレゼントにカートを贈った。

 2年後の1993年、カートでの本格的なレース活動を始めると、95年にカデット(将来有望な若年層)クラスで英国チャンピオンを獲得。もうひとつタイトルも手にし、英オートスポーツ誌が主催する年間表彰式に参加した。

 その際、当時マクラーレンを率いていたロン・デニスと会話をしており、これがF1の世界との初めての関わりとなる。さらに毎年のようにカートでタイトルを積み上げ、2年もすると、今度はデニスのほうからコンタクトがあった。13歳となる98年からマクラーレンと当時パートナー関係にあったメルセデスが共同で行なっていた若手ドライバー育成プログラムと、正式契約を結ぶ。

 2001年、16歳のときまでハミルトンはカートを続けた。この時代にチームメイトとして、のちにF1でしのぎを削り合うことになる同い年のニコ・ロズベルグと出会う。01年の年末がもう押し迫るなか、英国内のフォーミュラ・ルノー・ウインターシリーズ参戦。フォーミュラレース進出を果たす。

 02年からは同レギュラーシリーズ参戦、1年目は選手権3位で終え、2年目に10勝を挙げてチャンピオンとなった。F3ユーロシリーズにステップアップした04年は、1勝で選手権5位に留まる。当時ウイリアムズからの接触もあったが、秋にマクラーレンで初のF1ドライブを経験する。

 ユーロF3の2年目はチームを移籍、20戦中15勝でシリーズを制圧。タイトルを手に翌06年はF1直下のGP2(FIA F2の前身)に参戦、1年目で5勝を挙げてネルソン・ピケJr.とのチャンピオン争いを制した。マクラーレンと契約を結んで9年、ついにF1進出への態勢が整う。

 07年、デビューシーズンのチームメイトは、当時ドライバーズ選手権を2連覇中のフェルナンド・アロンソだ。黒人を起源とする初のF1ドライバーということに当初スポットライトが当たりがちだったが、1年目からこのアロンソと渡り合ったことで、そんな声をかき消した。

 第6戦カナダで初めてのポールポジションを獲得すると、そのままレースでも初勝利。計4勝を挙げて、F1史上初となるデビューシーズンのドライバーズ王座獲得に近づく。しかし最終戦ブラジルで自らのミスもあって優勝したフェラーリのキミ・ライコネンに1ポイント差の逆転を許して偉業ならず。シーズン中盤から確執が起きたアロンソとは同ポイントで並び、優勝回数も同じだったが、上位入賞の差でランキング2位を手にした。

 08年はマクラーレンを1年限りでアロンソが離脱し、名実ともにチームのエースを務める。5勝を挙げ、ふたたび選手権リードで迎えた最終戦ブラジル。5位以内で王座確定の状況だったが、この日開催地サンパウロを見舞った雨にハミルトンは翻弄される。最終ラップを迎えて6位。だがこの周の最後の区間でどうにか5位を得て、劇的なドライバーズタイトル獲得を果たす。史上最年少記録の王座(当時)でもあった。

 だが、そのまま12年までマクラーレンに在籍するも、再度の王座獲得はならず。13年のメルセデス移籍を決意する。ただ当時は、メルセデスは10年のワークスチーム復帰から1勝しか挙げておらず、この決断は多くの疑問の声を呼んだ。

 チームメイトは若きカート時代をともに過ごしたロズベルグ。13年は第10戦ハンガリーで1勝を手にするに留まったが、翌14年F1に新パワーユニット規定が導入されたことで情勢は大きく変化した。新規定導入がメルセデス1強時代を演出。この年からの固定カーナンバーでハミルトンは44をつけ、ロズベルグとの間でチャンピオンシップ一騎討ちとなる。ハミルトンは19戦11勝を挙げてロズベルグを下し自身2度目の王座を獲得するが、ふたりの関係は壊れた。

 15年、チャンピオンの権利としてハミルトンはカーナンバー1を使うこともできたが44を選択し、慣例を崩す。選手権はハミルトン連覇、だが翌16年はロズベルグが一矢を報いる。自身初のドライバーズタイトルを手土産に、この年限りでロズベルグはF1を去った。

 17年からはバルテリ・ボッタスをチームメイトに迎え、同年第13戦イタリアで通算のポールポジション獲得回数を69とし、前戦でミハエル・シューマッハと並んでいたF1歴代最多記録を更新。この17~19年とドライバーズチャンピオンシップを3連覇、王座獲得回数もそのシューマッハ7回に次ぐ、史上単独2位の6としている。

 2020年も第1戦の勝利を逃すが、第2戦から3戦連続ポール・トゥ・ウインを達成しすぐさまランキングトップに立つ。だが第8戦イタリアGPではピットレーン閉鎖を示す指示を見逃してしまい、10秒のストップ&ゴーペナルティを受けた。また第10戦ロシアGPでは、スタート練習位置に関する違反で5秒のタイムペナルティを2度科されるなど、この年はペナルティで勝機を失うこともあった。

 新型コロナウイルスに感染し第16戦サクヒールGPを欠場したハミルトンだったが、それ以外の出場した全16戦で入賞しており、11勝を挙げて他のドライバーを圧倒。歴代トップとなる通算95勝をマークし、ついにシューマッハーと並ぶ7回目のタイトルを獲得した。

 また2020年は人種差別に対する抗議運動が世界的に広まり、ハミルトンはこれを支持。メルセデスも彼に賛同し、車体やレーシングスーツのカラーリングを黒へ変更した。第9戦エミリア・ロマーニャGPの表彰式では、アメリカで黒人女性が亡くなった事件への抗議の意を示すTシャツをハミルトンが着用したため、F1を政治的に利用したのではないかと問題に。結局この件についてハミルトンが罰せられることはなかったが、これをきっかけに表彰式ではレーシングスーツの着用が義務付けられることになった。

 2021年は史上最多の8度目となるタイトル獲得に向けて、シーズン序盤からマックス・フェルスタッペン(レッドブル)と接戦を展開。イギリスGPとイタリアGPでは接触も経験し、シーズン後半にはフェルスタッペンに選手権のリードを許した。しかしハミルトンは終盤戦のブラジルGP、カタールGP、サウジアラビアGPで3連勝を記録。ブラジルでは予選失格となり、スプリント予選を最後尾からスタートするも5番手フィニッシュ。エンジン交換によるペナルティを受けたため、決勝は10番グリッドからのスタートだったが、大逆転で優勝を飾り執念を見せた。その結果フェルスタッペンと同点で最終戦アブダビGPを迎えたが、終盤のセーフティカー運用に関するFIAの不手際によりハミルトンは不利な状況に陥り、タイトルを逃す結果に終わった。

 2022年はハミルトンのF1キャリアにおいて最も低迷した1年だった。F1に新しい技術規則が導入され、メルセデスはゼロポッドという革新的なデザインのW13を投入したが、ポーパシングに大いに悩まされ、ハミルトンはアゼルバイジャンGPではレース後に自力でマシンを降りられないほど背中を痛めた。徐々にポーパシング問題が解決されると、ハミルトンはシーズン中盤に5戦連続での表彰台を獲得し、終盤にも3戦連続で2位に入ったが、結局この年は一度もポールポジションを獲ることができず、さらには未勝利に終わるという過去最低の成績で、選手権では6位だった。

 メルセデスでの11年目となった2023年、ハミルトンは2年ぶりのポールポジションを記録したが、またも勝利には手が届かない1年だった。ただドライバーズ選手権ではラッセルを上回り、レッドブル勢に続く3位につけた。メルセデスはコンストラクターズ選手権でフェラーリを3ポイント差で下して2位を獲得しており、カタールとアメリカを除く20戦で入賞を果たしたハミルトンの貢献は大きかった。

公式サイト:
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