Adam Cooper

――そして最初に決めた事項のひとつが、エンジンはV12とすることでした。

JB:1987年のことだね。1988年はターボから自然吸気への転換期になるので、当初は自然吸気エンジンで行く予定だった。いずれにしてもターボ時代は終わるのだから、1年待っても意味がないと考えたんだ。当時はまだエンツォが健在で、私のプランを聞いた彼は、「それでいい」と言ってくれた。だが、例によって、そこから話がおかしくなってきた。

JB:私がイギリスで新しいクルマのデザインに取り組んでいたのに、マラネロではピエロ・ラルディが、ハーベイ・ポスルズウェイトやジャン-クロード・ミジョーと一緒に別のプロジェクトを進めていた。私は自分のクルマの空力には一切関与できなかった。その一方でエンジン部門は、1987年のターボエンジンを最大過給圧2.5バールのルールに適応させる仕事もしていた。要するに、何もかもバラバラだったんだ。そして、新しい自然吸気エンジンの完成は遅れ、クルマの完成も遅れて、結局は1987年のクルマとターボエンジンでレースをするしかなくなった。

――1988年に639を投入できたかもしれない、ということですか?

JB:できたかもしれない。あるいは、困難だったには違いないが、不可能ではなかったと言うべきかな。ともあれ、それにはもっと緊密な協力が必要だっただろうね。私がチームに加わった1986年末の時点では、まだ手に入れた建物の工事も終わっていなかった。つまり、建物を完成させ、オートクレーブやクリーンルームを設置し、スタッフを雇い入れるといった仕事に加えて、1988年の開幕に向けて新車のデザインもしていたんだ。ものすごく難しい注文だったのは確かだね。

――どうしてV12を選んだのですか? ホンダやルノーはV10を作っていましたが……。

JB:準備していたのはV12だけで、V10という話はなかった。当時はV12か、さもなければV8で、V10は候補にも上がっていなかった。私がV12を選んだのは、フェラーリはV12を知り尽くしていると考えたからだ。フェラーリはやはりV12でなければ、ということだよ。

JB:しかし、彼らが最初に作ったエンジンは、あまり褒められたものではなかった。1989年のブラジルで勝った時も、せいぜい600馬力くらいしか出ていなかったと思う。クランクシャフトが4ベアリングの設計で、クランクがひどく捻じれていたんだ。彼らはフリクションを抑えるために4ベアリングにしたのだが、クランクの剛性が不足していて、それが裏目に出たわけだ。そして、次のエンジンではメインベアリングが7つになった。それがいつのことだったか、はっきりとは思い出せないんだが、おそらく1990年だろう。

中編につづく

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