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F1 ニュース

投稿日: 2022.08.16 19:00

【鈴鹿F1優勝偉人伝/2&3】貴重な“鈴鹿1勝”をつかんだ2人。フェルナンド・アロンソ&アレッサンドロ・ナニーニ

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F1 | 【鈴鹿F1優勝偉人伝/2&3】貴重な“鈴鹿1勝”をつかんだ2人。フェルナンド・アロンソ&アレッサンドロ・ナニーニ

 2006年のアロンソの鈴鹿初制覇は、当時のルノーにとっては通算4回目の鈴鹿勝利ともいえた。前身のベネトンが鈴鹿とは好相性で、1989、1990、1995年と勝っていたからだ。

(※2006年のアロンソを最後に、この系譜のチームは鈴鹿で勝っていない。日本GPに関しては2008年の富士で“通算5勝目”。また、ベネトンは1994〜1995年にTIサーキット英田、現・岡山国際サーキットで開催されたF1パシフィックGPを連覇しており、この系譜のチームは日本開催のF1で通算7勝)

 1989年、ベネトンの鈴鹿初勝利は実に劇的だった。

 この年のF1、本来の主役はマクラーレン・ホンダのアラン・プロストとアイルトン・セナ。王座を争う両雄は鈴鹿で緊迫感に満ちた優勝争いを展開し、終盤47周目のシケインでついに同士討ちを演じてしまう。

1989年F1日本GP 47周目のシケインで接触したマクラーレン・ホンダのアラン・プロストとアイルトン・セナ
1989年F1日本GP 47周目のシケインで接触したマクラーレン・ホンダのアラン・プロストとアイルトン・セナ

 プロストはリタイアしたが、セナはコースに戻った。そして48周目にピットインして、プロストとの接触が起因で壊れたノーズを交換、ここでトップに立ったのがベネトン・フォードのアレッサンドロ・ナニーニだった。

 しかしセナは猛追、51周目のシケインでナニーニをパスし、53周のレースをトップで終える。でも、プロストとの接触後のコース復帰時にシケインを正しく通過していなかったとして失格処分を受けてしまう。

 1989年F1日本GP、鈴鹿の表彰台の中央に立ったのはナニーニだった。嬉しいF1初優勝である。

 そしてこの勝利は、ナニーニにとってF1唯一の勝利にもなるーー。

1989年F1日本GPを制したアレッサンドロ・ナニーニ(ベネトン)
1989年F1日本GPを制したアレッサンドロ・ナニーニ(ベネトン)

 翌1990年、ナニーニは後半戦絶好調で、フェラーリの次期ドライバー候補にもなるなどするが、彼はイタリア人ドライバー最高の名誉ともいえるチャンスを蹴る格好で、ベネトン残留の道を選ぶ。慣れ親しんだ仲間と頂点を狙うことにやりがいと可能性を感じているようだった(フェラーリの出した条件が良くなかったから、などの理由も伝えられている)。

 いずれにせよ、ナニーニが繰り上がりではない優勝を遂げるのもそう遠い話ではないと思われていた。ところが1990年日本GP目前のヘリコプター事故でナニーニは右腕切断という重傷を負う。鈴鹿での初優勝からほぼジャスト1年後に、彼のF1ドライバーとしての未来は失われてしまったのだ(凄まじい努力でレーサーとして復帰、DTMに参戦するなどしたことは素晴らしかった)。

 鈴鹿F1での勝利が1回というドライバーはアロンソ、ナニーニら9人いるが、その1勝=F1キャリア1勝というのはナニーニだけである。セナ失格の一連のドラマとも相まって、1989年の日本GPは様々な意味で記憶に残る一戦となっている(このレースについてはセナ登場回でも触れる予定)。

 なお、ベネトンはナニーニの代走にロベルト・モレノを起用した1990年日本GPで1-2フィニッシュ、鈴鹿連覇を成す。このことも1989年鈴鹿のドラマ性の深さ、厚みを増している要素である(1990年のレース詳細については勝者ネルソン・ピケを紹介する回にて)。

1989年F1日本GP アレッサンドロ・ナニーニ(ベネトン)
1989年F1日本GP アレッサンドロ・ナニーニ(ベネトン)


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