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F1 ニュース

投稿日: 2023.06.11 08:38

最強のアクティブマシンFW15CでF1デビュー。30年前の“歯痒い記憶”をデイモン・ヒルが激白

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F1 | 最強のアクティブマシンFW15CでF1デビュー。30年前の“歯痒い記憶”をデイモン・ヒルが激白

──南アフリカでのウイリアムズ初レースはどうでしたか。

「すべての注目が、アランとアイルトン(セナ)のライバル対決に集まっていた。その意味で私はプレッシャーもなくそれなりに仕事をこなせばいいだけだった。いまだにあのとき何が起こったのか自分でも分からないのだが、レースでは1コーナーでいきなりスピンを喫して後退してしまった。最悪の初レースだったね」

──今でも記憶に残っているのはドニントンのレースです。セナが優勝し、何度もタイヤ交換を行なった末に、あなたとプロストが2、3位になりました。何が悪かったのですか。

「実際のところそれほどトリッキーな状況だったわけではない。敗因はあの時点での私の経験があまりに乏しかったのと、アランもまだマシンを完全に把握できておらず、そのせいでスリックタイヤで行くべき時に、自信を持ってスリックを選択できなかったことだ」

「さらに付け加えるならピットとのコミュニケーションがまったくなかった。どのような状況なのか、必要とされる情報交換ができていなかった。『これからピットに入る』とか『今は入ってくるな』とか『このまま走れ』といった簡単なもので良かったのに。悪夢のような展開だったよ。ピットレーンに入ってもタイヤの準備がまったくできていなかったのだからね。今でもアイルトンをいとも簡単に先行させてしまったことが悔やまれる」

1993年F1ヨーロッパGP レインコンディションをドライブするデイモン・ヒル
1993年F1ヨーロッパGP レインコンディションをドライブするデイモン・ヒル

──マニクールで初ポールポジションを獲得しましたね。

「予選最後のラップのシケイン進入で、ブレーキペダルを踏み損なっただけのことなんだよ。文字どおり偶然ブレーキングが遅れたおかげの結果。ただ、この頃からようやく本領発揮できるようになり始めたと思う」

──シルバーストンやホッケンハイムなど、浮き沈みが激しいレースが続きましたが、ついにハンガリーで優勝を飾ります。

「正確に言えば、スタートでアランが問題を抱えたので、競うことなく単独で首位に立てた。確かリカルドが2番手だったと思うが、彼が私の前方を走っているのが見えた。それくらい大差がついていたわけだ」

1993年F1ハンガリーGP 初優勝を飾ったデイモン・ヒル
1993年F1ハンガリーGP 初優勝を飾ったデイモン・ヒル

──スパ、モンツァといった伝統的なサーキットでも勝利を重ねました。

「モンツァではアイルトンと絡んでフロントウイングか何かにダメージを負ってしまったので、ポジションを取り戻すしかないと思っていた。徐々にアランに追いついたところで、『プッシュしすぎるな』と無線で注意されたんだ。フランスGPも同じような状況で、私がアランの背後に迫っていた時、彼はピットに対して『デイモンにスローダウンするように伝えてくれ』と頼んだんだ。チームもアランを勝たせるべきだと考えていたから、私はペースを抑えるように指示された」

「モンツァではとても気合いが入っていた私はアランをとらえようとしていた。するとまた無線が入り『アランと争うな』と言われた。『今回はレースをするつもりだと、アランに伝えてくれ』と私は言い返したんだよ。すると担当エンジニアのジョン・ラッセルが『頼むよ、デイモン』と返してきた。レースをするなと言われてもアランに追いついてしまった私は“どうしたものか”と思いながら周回を重ねていたんだ。その後まもなくして、アランのエンジンがブローして、私の問題は労せず解決したというわけさ」

■すべてが完璧だった

──フル参戦1年目のシーズンについて満足はできましたか。

「とても満足したよ。納得のいくパフォーマンスはできた。ただ、常に自分はナイジェルのような力量があるのか、アランのようなテクニックがあるのか、あるいは他の誰かに匹敵する優れたドライバーなのか、常に疑問に思っていた。キャリアの浅い者がそう考えるのは当然のことだよね。ただ、自分でも確実に成長していると感じていた」

──すべての“おもちゃ”が機能していた、シーズン終盤のマシンはどうでしたか。

「最も印象に残っているのはアデレードだ。バックストレートエンドでブレーキングした時、どうやって自分がブレーキングしているのか、本当に信じられない気持ちでいっぱいだったし、驚異にすら感じた。何もかもが完璧だった。ただ、その時点ですでにFIAはほぼすべてのハイテク装備を使用禁止にすると宣言していたからね」

1993年F1オーストラリアGP アデレード・ストリート・サーキットをドライブするデイモン・ヒル
1993年F1オーストラリアGP アデレード・ストリート・サーキットをドライブするデイモン・ヒル

──振り返ってみると、30年前にFW15Cがあれだけの装備を備えていたなんて、信じられますか。

「当時、マシンからデータをダウンロードするのに使っていたのは、サイオン社の携帯情報端末だった。そう考えると実際はどれほどシンプルなものだったのかが窺い知れると思う。それほど洗練されたものではなかったということだ。確かにコンセプトや機能させるために採用されていたシステムはとても洗練されていた」

「ただ、処理能力やメモリという点では、とても限られていた。対照的に今のマシンはとても複雑ではるかに洗練されている。ただその一方で、できることが限られている。あの頃の私たちには楽しく遊ぶために様々な種類のおもちゃが与えられていた、そう言えるよね」

──94年シーズンに向けて、すべてが取り除かれた暫定車のFW15Dをドライブした時の感想は。

「ウイリアムズのパッシブカーをドライブした経験がほとんどなかったので、正直すっかり途方に暮れてしまっていた。それが素直な気持ちさ。ブラバムをドライブしたのが、私の唯一のパッシブF1の経験だったわけだからね。アイルトンに感想を求められた時に、『そんなことを聞かないでほしい。なにせ、これまでずっとアクティブカーだけをドライブしてきたんだから。あなたの方が、よっぽど理解しているはず』と、答えたくらいだ」

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『GP Car Story Vol.44 ウイリアムズFW15C』では、今回お届けしたヒルのインタビュー以外にも見どころは満載。このクルマを語る上で絶対に外せないアクティブサスペンションの開発エピソードや開発担当パディ・ロウのインタビューほか、そのアクティブを駆使して最強の空力を実現させたエイドリアン・ニューウェイや、強者揃いの技術屋集団を束ねたパトリック・ヘッド、エンジン戦争を完全に支配していたルノーのベルナール・デュドなど、関係者のインタビューを多数掲載している。

 もちろん、休養から復帰してタイトル獲得、そして引退と1年ですべてを成し遂げたアラン・プロストが、30年前の本心を赤裸々に語る独占インタビューも必見。『勝って当たり前』と言われていた最強フルアクティブカーのFW15Cだったが、そう容易い戦いではなかった事実が30年経った今、関係者の言葉から明らかになる。限られた開発環境下で究極のテクノロジーに挑戦したマシンを作り上げた人間ドラマをご堪能いただきたい。

『GP Car Story Vol.44 ウイリアムズFW15C』は6月7日より発売中。全国書店や インターネット通販サイトにてお買い求めください。内容の詳細は三栄オンラインサイト(https://shop.san-ei-corp.co.jp/magazine/detail.php?pid=12832)まで

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