今大会もリアタイヤの温度を上げられず苦戦したペドロサ。サンマリノGP同様、ずるずるとポジションを落としたが、今大会は、レース終盤にリタイアすることを決断した。過去、最高峰クラスでは日本GPで3勝を挙げているペドロサだけに、悔しさ100倍のレースになった。
来年型のプロトタイプのマシンで出場の中須賀克行は、フリー走行、予選と思うようにタイムを上げられなかったが、決勝では日本人最上位の12位でフィニッシュ。さすがの走りだった。
ホアン・ミルのタイトル王手で迎えたMoto3クラス。総合2位でタイトルの可能性を残すロマーノ・フェナティが好スタートから独走で優勝した。失うものがない、追いかける側のフェナティが伸び伸びと走っているのに対して、タイトル王手のミルは、完全に守りの走りとなり17位。ミルは今季初のノーポイントレース。タイトル獲得のプレッシャーを感じさせるレースだった。
Moto2クラスも、タイトル争いをするフランコ・モルビデリ(8位)とトーマス・ルティ(11位)が中団グループに沈んだが、総合3位のアレックス・マルケスは、伸び伸びと走って今季3勝目を挙げた。マルケスは第13戦サンマリノGPのフリー走行で腰を痛め欠場。復帰戦となった第14戦アラゴンGPも体調不良のためにリタイアしているが、ほぼ体調が戻った日本GPではすばらしい走りで優勝した。中盤まではトップを走る中上をピタリとマーク。終盤は前に出ると一気にスパート。「作戦通りの走りができた」と喜びを爆発させていた。
ウエットコンディションとなった予選でヨハン・ザルコが今季2回目のMotoGPクラスポールポジションを獲得した。2番手にはダニロ・ペトルッチで、ウエットを得意とする二人がワン・ツー。3番手にはマルケス。1回目のアタックではマルケスのポールポジションは確実だったが、2回目のアタックはなんとスリックタイヤ。“フラッグtoフラッグ”を想定してのものだが、ポールポジションよりもレースを優先。チャンピオン争いを意識した大会だということを感じさせていた。
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遠藤智
1957年生まれ 北海道厚岸町出身。小学生の頃は野球少年。中学では柔道、高校時代は吉田拓郎に憧れ、バイクの魅力にもとりつかれる。19歳で上京。平忠彦のメカニックを経験、自身では鈴鹿4耐で優勝、8耐では最高位12位。マン島TT、マカオGPなど海外のレースの経験も豊富。その後、角川書店が発行していたバイク総合誌「ウイリー」でライター兼ライダーとして活躍。1990年からは2輪の世界グランプリを中心に海外レースの取材を開始する。日本スポーツプレス協会(AJPS)会員、国際スポーツ記者協会(AIPS)会員、日本レース写真家協会(JRPA)会員。