──無事に最終スティントを終え、どんなお気持ちですか?
宮田:「チームメイトの14号車(GTDプロクラスのチャンピオンカー)も序盤にアクシデントに巻き込まれるなど、ずっと荒れたレースが続いたレースでした。僕がピットアウトをする際にはFCY(フルコースイエロー・コーション/IMSAシリーズではセーフティカーが入る)という状況で、せっかく広がったギャップが縮まってしまいましたが、コース上ではオーバーテイクをはじめ、僕のできることは発揮できたと思っています」
「24時間レースで一番大切なことは、マシンを破損させず最後までドライバーがバトンをつないでゴールをすることなので、僕の最後のスティントまではそれをしっかり遂行できたと思います。GTDクラスのポールポジションからスタートし、常時上位争いに絡んでおり、初デイトナで自分の中での課題のタスクは無事に果たせたと思います」
「初出場ということで、何もかもが初めてのことだらけでまだエンジョイするというところまではいけませんでしたが、しっかりと走り切れたと感じています」
(※編注)レース終盤、宮田組12号車レクサスRC F GT3は、最終スティントを担うパーカー・トンプソンがピットアウトする際にエンジンルームから火の手が上がり、フィニッシュまで残り1時間弱となったタイミングで無念のリタイアとなった。
──海外に拠点を移されるようですが、新居は所属するトヨタ・ガズー・レーシング・ヨーロッパ(TGR-E)のファクトリー近くになる感じでしょうか?
宮田:「日本に生活拠点を置きながら海外のレースに挑戦しようと決めた2日後にFIA F2に参戦することが急きょ決まり、それによってヨーロッパ、恐らくTGR-Eがあるケルン(ドイツ)になると思いますが、これからアパートを探したり、ビザの申請をすることになります」
「デイトナのロア(公式テスト)や他のレースのテスト等もあり、海外暮らしの私生活の準備のケアがまだまったくできていない状態です。今後、ケルンを拠点にヨーロッパのレースに参戦する予定をしています」
「昨年の12月にTGR-Eでシート合わせをし、今年の1月にはイギリスへ飛び、F2のシート合わせをし、またケルンのTGR-Eへ戻りミーティングやシミュレーターをドライブしたり、かなり慌ただしくも充実した日々を過ごし、新シーズンの準備に追われています。年明けからヨーロッパ、そしてアメリカのデイトナを訪れ、移動の日々で日本の家を引き払う準備もしなくてはならないのですが、家族には随分と迷惑をかけてしまっています」
──プロのシムレーサーでもある宮田選手ですが、以前に取材を受けていた日本のご自宅にある立派なシミュレーターのセットは、ドイツの新居にも持って来られるのでしょうか?
宮田:「僕の私物とレンタルで使用させていただいている機材が混ざっており、レンタルしている物に関しては返却し、私物はドイツの自宅が決まったら運び込み、足らない物に関しては新たにヨーロッパで購入して、新居のシミュレーターセットを完成させるつもりです」
──新たな挑戦に向けての目標をお願いします。
宮田:「今年から日本を飛び出し、世界を舞台に挑戦させていただくのですが、豊田会長をはじめ、トヨタ自動車の皆さまには感謝しかありません。僕が皆さんへ恩返しをさせていただれるとすれば、その与えていただいた環境でベストを尽くし、チームと一緒に力を合わせて良い仕事をするだけです」
「一歩一歩、日々努力を重ねていけば成績もついてくると思います。昨シーズンは、実際にそれを毎日心掛けてダブルチャンピオンを獲得することができましたので、あとはアメリカやヨーロッパの環境に馴染めば自分のレースができると思います。“ステップ・バイ・ステップ”、気負わず自分らしくを心掛けてチームと一緒に頑張りたいと思います!」
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初出場のデイトナ24時間レースながら、スーパーGTとスーパーフォーミュラのダブルチャンピオンがパドックを駆け抜ける度に、サインや記念撮影を求める数多くのファンに囲まれ、それに対し笑顔でひとりひとりに丁寧に対応する姿が非常に印象的だった。また、地元アメリカのみならず、フランスやドイツをはじめ、数多くの世界のメディア関係者も宮田のポテンシャルに期待を高め、話題を集めていた。
GTDクラスのポールポジションからスタートし、クラス優勝を充分に狙えるポジションにつけていたにもかかわらず、残念ながらゴール間近にエンジンルームからの出火によりリタイアとなってしまったが、先のコメントにもあるように宮田自身は与えられたミッションを完遂。確かな手応えを持って、ヨーロッパでの次なる挑戦へ向かった。