ところが、決勝をスタートしてみると、バランスは一転。マシンのスピードは影を潜めてしまう。スーパーGTのスタート進行は長く、ウォームアップからスタートまでにコンディションが変化してしまった可能性が高い。塚越は「前についていくのがやっと」というレベルで、10番手あたりでもがき続けていた。
ピットではこの流れを変えようと、32周目に入ったところで塚越を呼び寄せる。やや早めではあるが、ウインドウはすでに開いている。そして、マシンがピット前に停止するかしないかのタイミングでFCY(フルコースイエロー)が導入され、コース上の全車がスローモーションのように80km/h走行を開始。その間、ベルトラン・バゲットに交代したAstemo NSX-GTは、実質トップでコースに復帰したのである。
「FCYは初めてだったので、どこまで上がるのか分からなかった。まさかトップとは(笑)。でもバゲットのときもグリップが低くアンダーもオーバーも出て、タイムもイマイチ。トップを走っているとはいえ、(エンジニアとして)俺的には暗い雰囲気だったよ」
そう語る田坂エンジニア。第3スティントで再び塚越に交代した直後、ARTA NSX-GTとau TOM’S GR Supraに交わされたが、あれは実力どおりだったという。それでもARTA NSX-GTには多少の抵抗を見せた。
「先を考えたら、あまりガチャガチャするべきではない。それでも簡単に抜かれてしまうと、ペース的には負けているので、その後チャンスがなくなってしまうから」
塚越は、厳しいなかで最大限の応戦をしたことで、間接的にARTA NSX-GTのイエロー違反を呼び寄せたのではないかと考えている。
第3スティントで塚越は、第1スティントとは違う軟らかめのスペックのタイヤを履いていた。「そちらのほうがコンディションには合っていたけど、それでも速さは足りなかった」という。
決勝の500km、マシンは結局どのコンディションにも合致してくれなかった。せいぜい70点の出来。それでも勝てたのは、いくつものラッキーが重なったから。と同時に、それを呼び寄せたこと、そこにいたこと、それを活かす実力が備わっていたからでもある。
最初のピットインがFCYと重なった。実力的に負けていたトップ2台が自滅してくれた。山下が抜きにきたタイミングがイエローと重なり、かつ無線が聞きづらい状態だった。ファイナルラップでは後続の2台がバトルしてくれた……。
多くの幸運を味方にできたのは、強さがあったからにほかならない。「苦しいときに勝つことがチャンピオンになるには大事。今回は難しい選択の連続で、もう一回やれと言われてもできない」と塚越。
過去を振り返れば、REAL RACINGのマシンはアンラッキーな出来事に見舞われることが多かった。レースの8割がた支配していた鈴鹿1000kmをタイヤトラブルで失ったり、トップ集団のなかを走行中に、いきなりリヤハッチが飛んでいったりと、不可抗力のアクシデントで勝利がいくつも消えていった。対してライバルがラッキーで優勝するのを横目に、「ウチもラッキーで勝ってみたいよ」と田坂氏は毒づいたこともあった。
世のなかには『幸運は平等説』があるが、だとしたら、それを逃さない者がチャンピオンになる資格がある。第2戦のAstemo NSX-GTは、レースの神様がくれたチャンスを、しっかりとつかみ取った。