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F1ドライバー

F1 | シャルル・ルクレール(Charles Leclerc) 2019年

シャルル・ルクレール(Charles Leclerc) 2019年

モナコ / フェラーリ /

ゼッケンNo. :16

●国籍:モナコ
●生年月日:1997年10月16日(21歳)
●身長/体重:179cm/69kg

●出走:21回
●優勝:0回(勝率:0%)
●表彰台:0回(獲得率:0%)
●入賞:10回(入賞率:47.61%)
●完走:16回(完走率:76.19%)
●PP:0回(獲得率:0%)
●Q3進出:8回(進出率:38.09%)
●Q2進出:16回(進出率:76.19%)
●FL:0回
●予選平均順位:12.47位
●決勝平均順位:10.62位

●F1デビュー:2018年第1戦オーストラリアGP
●在籍チーム:ザウバー(2018年)
●出走:21回
●優勝:0回
●PP:0回
●FL:0回 
●表彰台:0回 
●入賞:10回
●通算獲得ポイント:39点
●ドライバーズ選手権最上位:13位(2018年/ザウバー)

■シャルル・ルクレール:プロフィール

 モナコ出身というと超高級セレブを想像しがちだが、経済的に恵まれていたということではない。

 父エルベも元レーシングドライバーで、F3まで進出した実績を持つ。その父と交流関係のあったジュール・ビアンキの父親がカート場を経営しており、4歳のときに初ドライブを体験。8歳になる2005年から、本格的にカートでのレース活動を開始した。

 若年層で争われるフランス選手権では、複数のタイトルを獲得。10年には母国モナコの、より上級クラスの選手権も制した。この10年がキャリアの転機となる。

 すでに家族支援によるレース活動資金は尽きかけていたが、8歳年長のビアンキの口利きによって、ジャン・トッドFIA会長の息子ニコラが手がけるドライバーマネージメント会社に所属。バックアップを受けたことで、途絶えかけていたキャリア続行がかなった。

 11年からはより国際的な舞台でカート活動を続け、さらにタイトルを積み重ねるとともに順調なクラスアップを果たす。カート生活は13年までで、当時マックス・フェルスタッペンらとすでに覇を競い合う関係にあった。

 14年からフォーミュラレースに転向し、1年で入門カテゴリーのフォーミュラ・ルノーを通過。翌15年には、F3のヨーロッパ選手権に参戦する。ここでもルーキーオブザイヤーに輝き、年末のオーディションテストを経て、GP3進出の切符を手にした。なおこの15年には、良き先輩であり自分のキャリアを拓いてくれたビアンキを亡くすという、悲しい出来事もあった。

 16年3月には、フェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA)選出。いよいよF1進出への道を、ぐっと引き寄せる。第10戦のシルバーストン開催ではハースからFP1出走、F1ドライブを体験する。

 GP3ではアレクサンダー・アルボンらをチームメイトに闘い、この年コンスタントに好成績を出し続けた。アルボンを2位に従えて、シリーズチャンピオンを獲得する。次なる舞台は17年を機にGP2から改称された、FIA F2。シリーズ名称は変わっても、これまで多くのF1ドライバーを輩出してきた登竜門だ。

 ここでもルクレールは、順応性の早さと才能の輝きを発揮する。開幕戦からポールポジションを獲得し、レース1は3位に終わるも同2で優勝を果たす。その後、紆余曲折もありながら、最終的には7勝を挙げてまたもステップアップ1年目のチャンピオンシップ制覇となった。しかし、このF2タイトル目前にして、父が54歳の若さで他界した。

 この年はザウバーのリザーブドライバーも務めており、計4戦でFP1の走行を担当した。ザウバーはこのシーズンを終えてアルファロメオをチームのタイトルスポンサーに迎え、フィアットを介して、フェラーリとの関係性をより強固なものとする。そしてルクレールは、残留のマーカス・エリクソンとともに18年「アルファロメオ・ザウバー」のレギュラードライバーに指名された。カーナンバーは16を選択する。

 F1デビューシーズンはすでにキャリア5年目のエリクソンに開幕当初は劣勢だったが、才能は徐々に頭角を現し始める。第4戦アゼルバイジャンで初のQ2進出を果たすと、レースでもストリートコースの乱戦をくぐり抜け6位フィニッシュ。デビュー4戦で初入賞を決めた。その後はQ2はおろかQ3進出もめずらしいことではなくなり、コンスタントにレース入賞も続ける。速く、かつ安定したドライバーとして、評価は1戦ごとに高まっていく。シーズン中盤には、翌19年のフェラーリ昇格のうわさも流れ始めた。

 そして、その説は現実のものとなる。9月、キミ・ライコネンと入れ替わる形で、ルクレールの19年フェラーリ加入が発表された。シーズン終了後のアブダビ居残りテストでは、19年に先立つ形で早くもそのステアリングが託される。

 冬の新車テストを経て、臨んだシーズン。ルクレールは第2戦バーレーンでF1初ポールポジションを獲得すると、レースでも独走態勢を築く。しかしながら終盤にエンジントラブルが発生し、3位まで下げてレースを終えた。F1初表彰台ではあったが、眼前の優勝を取り逃す形だ。第9戦オーストリアでのポールポジションも優勝にはつなげられず、シーズンは終盤戦に向かう。そして、ようやくサマーブレーク明けの第13戦ベルギー。ポール・トゥ・ウインが念願のF1初優勝となった。

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