F1ドライバー

F1 | ニコ・ヒュルケンベルグ(Nico Hulkenberg) 2019年

ニコ・ヒュルケンベルグ(Nico Hulkenberg) 2019年

ドイツ / ルノー /

ゼッケンNo. :27

●国籍:ドイツ
●生年月日:1987年8月19日(31歳)
●身長/体重:184㎝/74㎏

●出走:21回
●優勝:0回(勝率:0%)
●表彰台:0回(獲得率:0%)
●入賞:11回(入賞率:52.38%)
●完走:14回(完走率:66.66%)
●PP:0回(獲得率:0%)
●Q3進出:11回(進出率:52.38%)
●Q2進出:19回(進出率:90.47%)
●FL:0回
●予選平均順位:10.80位
●決勝平均順位:8.07位

●F1デビュー:2010年第1戦バーレーンGP
●在籍チーム:ウイリアムズ(2010年)→フォース・インディア(12年)→ザウバー(13年)→フォース・インディア(14年~16年)→ルノー(17年~)
●出走:156回
●優勝:0回
●PP:1回
●FL:2回
●表彰台:0回
●入賞:85回
●通算獲得ポイント:474点
●ドライバーズ選手権最上位:7位(2018年/フォース・インディア)

■ニコ・ヒュルケンベルグ プロフィール

 運送業を営む家庭に生まれ、10歳になる年にカートレースを始めた。2002年からドイツ・ジュニアカート選手権に参戦して頭角を現し、翌03年のタイトルを獲得。04年もカートでの活動を継続し、満18歳を迎える年でフォーミュラに転向する。

 まずフォーミュラ・BMWのドイツ選手権を走り、1年目でタイトル獲得に成功した。年末には同ワールドファイナルにも出場して、3位を得る。

 翌06年からはF3にステップアップ、ドイツ選手権を走って1勝を挙げランキング3位。なお、このころにミハエル・シューマッハーの個人マネージャーであったことで知られるウイリー・ウエーバーと知り合い、そのマネージメントを受けるようになる。ウエーバーの仲介で06、07年の主に冬の間で開催となる、当時存在したドライバーの国別対抗戦レース『A1グランプリ』にも参戦。9勝を挙げて、ドイツチームを優勝に導いた。

 07年からはF3ユーロシリーズに活動の舞台を移し、1年目は4勝ランキング3位、2年目の08年に7勝でシリーズチャンピオンに輝く。07年は国際レースの『マスターズF3』にも勝った。

 ウエーバーは07年時点でF1界に接触しており、ヒュルケンベルグの売り込みを始めていた。テストに応じたのがウイリアムズで、12月に走行機会を与えられてF1初ドライブ。同月中にテストドライバー契約を結んだ。08年F3タイトル獲得を経て、09年は近い将来のシート獲得をにらみ、F1直下のカテゴリーGP2(現FIA F2)を走る。本戦となるヨーロッパ開催を前に早い時期に行なわれるアジア・シリーズには、2ラウンドのみに参戦。ポールポジション獲得2回、全4レースで1勝の結果を残した。メインシリーズと呼ばれるヨーロッパ開催では20レース中5勝で、タイトルを手にする。

 10年はウイリアムズがレギュラー昇格を決め、F1デビューを果たした。第3戦マレーシア10位が初入賞。この年、人々を驚かせたのが、シーズンももう残り2戦となる第18戦ブラジルだった。雨混じりのコンディションのなか、予選で最速ラップを刻む。ルーキーシーズンのポールポジション獲得はまれで、その前の達成者は07年マクラーレン時代のルイス・ハミルトンだ。そして、07年マクラーレンが常に優勝争いできるクルマであったのに対し、ウイリアムズのポールポジションは5シーズンぶりとなる。

 だが、翌11年に向けてウイリアムズは、巨額のスポンサーマネーを持ち込んだパストール・マルドナドの起用を発表。行き場を失くしたヒュルケンベルグは、他チームのシートを得られず、フォースインディア(現レーシングポイント)でリザーブドライバーの職に甘んじる。この年、ウエーバーとのマネージメント契約を抹消。初日フリー走行(FP1だけでなく、第12戦ベルギーは天候の関係でFP2)担当で過ごす。

 12年はフォースインディアでレギュラーシートを得て、10回の入賞でランキング11位の結果を残す。第12戦ベルギーでは自身最高位となる、4位フィニッシュもマークした。

 ところがチームの資金繰りの問題で13年残留はならず、フェラーリが抜擢するとの話もあったが、ザウバーに移籍。ここでもコンスタントに結果を残してふたたびフェラーリ入りのうわさが上るものの、実現せず。14年は財政状況がやや好転したフォースインディア出戻りとなる。

 この年からF1には固定カーナンバー制が導入され、27を選択した。『27』はジル・ビルヌーブがフェラーリ時代につけたことで知られる伝説のカーナンバーだが、本人は生まれ月と日を足した数字で決めたとしている。

 フォースインディア復帰後も変わらず高いパフォーマンスレベルでチームの信頼を勝ち取り、ついに1年でのシート喪失が繰り返されることはなかった。15年はF1でのスケジュールの合間に、ポルシェ・ワークスからWEC(世界耐久選手権)2戦に参戦。ル・マン24時間レースで総合優勝を果たす。16年もフォースインディアに残留し、シーズン中に前年からワークスチームを再開させた17年ルノー移籍が発表となる。

 この年の最終戦後、ドライバーズチャンピオンとなったばかりのニコ・ロズベルグが突如現役引退を表明。後任としてメルセデスが声をかけたとされるが、ルノーとの契約を遵守した。17年には第14戦シンガポールで、表彰台獲得のないままの出走が129レース目となり不名誉なF1記録を更新。ルノーでは契約期間の3シーズンを過ごすが、20年に向けてチームはエステバン・オコンの起用を発表する。同僚のダニエル・リカルドは複数年契約を残しており、19年限りのチーム放出が決まった。

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