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F1ドライバー

F1 | バルテリ・ボッタス(Valtteri Bottas) 2019年

バルテリ・ボッタス(Valtteri Bottas) 2019年

フィンランド / メルセデス /

ゼッケンNo. :77

●国籍:フィンランド
●生年月日:1989年8月28日(29歳)
●身長/体重:173㎝/67㎏

●出走:21回
●優勝:0回(勝率:0%)
●表彰台:7回(獲得率:33.33%)
●入賞:19回(入賞率:90.47%)
●完走:20回(完走率:95.23%)
●PP:2回(獲得率:9.52%)
●Q3進出:21回(進出率:100%)
●Q2進出:21回(進出率:100%)
●FL:7回
●予選平均順位:3.52位
●決勝平均順位:4.40位

●F1デビュー:2013年第1戦オーストラリアGP
●在籍チーム:ウイリアムズ(2013~16年)→メルセデス(17年~)
●出走:118回
●優勝:3回
●PP:6回
●FL:10回
●表彰台:29回
●入賞:84回
●通算獲得ポイント:963点
●ドライバーズ選手権最上位:3位(2017年/メルセデス)

■バルテリ・ボッタス プロフィール

 6歳で始めたカートのキャリアは、計12年にもおよぶ。そのうちの7年間を母国フィンランドのナショナルチームに選抜され、過ごした。それまでもカートで多くのタイトルを獲得してきたが、最後となった2006年に主要チャンピオンシップ3冠を果たして翌07年からフォーミュラに転向する。

 初めの2年間はフォーミュラ・ルノーで走り、2年目の08年にはユーロカップ、北欧カップにダブルエントリー。計28レースを闘い、20回のポールポジションと17勝を記録して両シリーズとも制覇した。

 09年にF3昇格し、ユーロシリーズに参戦。1年目は未勝利に終わったものの、ポールポジション獲得は2回あり、年間ランキングも3位に食い込む。ユーロF3の2年目もランキングとしては同じ3位に終わるが、2勝を挙げている。しかしながら一方、各国の強豪が集まる『マスターズF3』を2年連続で制覇した実績が光り、11年にはGP3進出となる。

 このキャリアのマネージメントには1998、99年とF1ドライバーズタイトルを連覇したミカ・ハッキネンらの会社が関わり、そのメンバーには現メルセデス・モータースポーツ責任者のトト・ウォルフもいた。ウォルフが09年11月からウイリアムズの経営に参加していたことも縁で、ボッタスは10年から同チームでF1のテスト走行機会も与えられている。

 11年はGP3で4勝を挙げて、参戦1年目でシリーズチャンピオン獲得を果たした。これを機にウイリアムズは、12年からボッタスをリザーブドライバーに指名。他のカテゴリーを走らせることなく、チームに帯同させた。この年、ボッタスは計15回、FP1での走行を担当している。

 そんな1年間の実力見極めもあってか、ウイリアムズは翌13年に向けてレギュラードライバーに昇格させた。デビュー1年目のウイリアムズの競争力は芳しくなく、入賞は第18戦オースティンでの8位1回に留まるものの、第7戦カナダで予選3位に入るなど高い潜在能力を披露。チーム残留を勝ち取ると、翌14年は飛躍のシーズンとなった。

 F1パワーユニット元年に向けて、ウイリアムズはサプライヤーを前年までのルノーからメルセデスにスイッチしていた。メルセデスのパワーユニットはトータルの競争力で他社を圧倒しており、ボッタスは第8戦オーストリア3位を皮切りに2位2回3位4回の計6度もの表彰台を獲得。コンスタントに入賞も重ね、年間のドライバーズランキング4位に食い込み、次代を担うドライバーのひとりとして数えられた。

 それから2年、ウイリアムズのシャシー開発停滞もあって、これを超える成績は残せなかったが、16年末に思わぬチャンスが舞い込む。ニコ・ロズベルグがこの年のドライバーズチャンピオンを獲得をもって、最終戦後に突如引退を表明したのだ。これにより選手権3連覇中のメルセデスのシートが、ひとつ空くことになった。

 ボッタスはこの時点で翌17年のウイリアムズとの残留契約を締結済みだったが、13年からメルセデスに移っていたウォルフがここで動いた。ウイリアムズにボッタスとの契約破棄を打診し、メルセデスに引き入れる。他のトップドライバーたちの翌年去就はすでに決まっている時期で、ボッタス本人やウイリアムズとのさまざまなコネクションを活かす他なかった。

 ボッタスは開幕戦オーストラリア3位表彰台でチャンピオンチームでのキャリアをスタートさせると、第3戦バーレーンでF1初ポールポジションを獲得。続くロシアでは3番グリッドから初優勝も手にした。この年は3勝、4回のポールポジションでドライバーズランキングを同僚ハミルトン、フェラーリのセバスチャン・ベッテルに次ぐ年間3位とした。

 だが、その後は厚い壁に苦しむ。ことにネックとなっているのは、チームメイトのハミルトンの存在だ。翌18年は勝てるレース展開もあったが同僚に大きくポイントで離され、終盤にはハミルトンのドライバーズタイトル確定を優先させるチームオーダーも出されて未勝利。19年は序盤4戦で2勝を挙げ、ハミルトンと互角の争いだった時期もあったが、その後第17戦の鈴鹿まで優勝がなく、チャンピオンシップの野望は遠のく。

 20年もメルセデス残留は決まっているが、チームメイトの6冠王者を倒さない限り、ドライバー究極の夢は訪れてはこない。

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