このときレッドブルは、2008年シーズン終了後にF1から引退することになっていたデイビッド・クルサードの後任ドライバーを探していた。
レッドブルはアロンソ側との協議が決裂した後、マーク・ウエーバーのチームメイトとして、姉妹チームのトロロッソからセバスチャン・ベッテルを昇格させた。ベッテルは2010年から4年連続でドライバーズタイトルを獲得した。
ホーナーは、アロンソは2009年にフェラーリに移籍する契約をすでに進めていたのだろうと思ったと言うが、実際にはそうはならなかった。
「これにはフラビオも関わっていたが、彼はアロンソを当時自分が代表を務めていたルノーF1で走らせようとしていた。結局、彼はルノーで(約)10年に渡って走ることになった」とホーナー。
ルノーに残留したアロンソにとって、翌2009年はフラストレーションの募るシーズンとなった。ホーナーによれば、その年の途中に、レッドブルとアロンソ側との間で再び交渉があったという。
「2009年の半ばに『彼はシーズン途中でも移籍できるか?』という打診を受けた」と、ホーナーは回想した。
「彼らは、レッドブルのマシンでならアロンソはタイトルを勝ち取れるだろうと考えていた」
結局アロンソはレッドブルに移ることなく、2010年に長い間望んでいたフェラーリのシートを獲得した。だが、それからさらに数年たった後にも、レッドブルとの間で非公式の協議は行われていたという。
「数年後の2011年か2012年にも、スパの空港にとめたアルファロメオの後部座席で彼と話し合った」とホーナー。
「(だが)一番最初に行った協議が最も本格的なものであり、その後、チャンスは失われた」