その一方でレースを終えてもベッテルは主張を曲げず、このようなかたちでレース結果がねじ曲げられたことに怒りが収まらなかった。
ベッテル:NO、NO、NO、こんなことはあっちゃいけない、NO、NO、NO。先入観なしで考えて見るべきだ。僕はグリーンに出てグリップが大きく落ちているところでコースに戻ってギリギリでマシンをコントロールしたんだ。ウォールにヒットしなかっただけ幸運だったというくらいだ。あれ以外、一体どこに行けっていうんだ? こんなの間違っているよ、フェアじゃない。素晴らしい観衆のみんなに素晴らしいレースを見せることができたはずなのに。みんなありがとう
ベッテルにはベッテルの、レースはこうあるべきという理想がある。真のバトルを展開し、ミスを犯そうともハミルトンを抑え込み、自分が先頭でチェッカードフラッグを受けた。高価なチケットを買いジル・ビルヌーブ・サーキットに詰めかけ応援してくれた人々に最高のショーを披露できたという思いがあったからこそ、それが見せかけの幻想でしかなかったことに申し訳ない気持ちと怒りが抑えられなかった。
フェラーリのマティア・ビノット代表が真の勝者は君だとなだめたが、ベッテルの感情は収まらなかった。
フェラーリ:君はコース上で勝った。我々にとっては君が勝者だ。それが重要なことだ。落ち着け
ベッテル:落ち着いてなんかいられないよ、僕は怒っている。なぜだか分かるよね? その権利がある。人に何を言われようとそんなの関係ないよ
ベッテルはトップ3のパルクフェルメにマシンを並べることを拒否し、テレビインタビューも表彰台もボイコットしてチームホスピタリティへと帰っていった。それでもチームメンバーに説得され、規定で義務づけられている表彰式への参加は受けいれた。それが大勢のファンに対する敬意だからだ。
その道すがら、パルクフェルメに止まったハミルトンのマシンの前に置かれた「1」のナンバープレートを見つけ、本来自分のマシンが止まるはずだった場所に置き換えた。その行為を批判する声もあったが、それは彼の並々ならぬ勝利への執念がさせた行為だ。エンジニアリングによって大部分が決まってしまう今のF1は機械的で無機質で退屈だと批判するなら、泥臭いまでに人間的で感情的なその行為はF1に欠かせないものであり、より魅力的にするものだ。
レース中の無線で溢れ出る彼らの感情を見て分かるとおり、F1は人間対人間の戦いだ。カナダGPの顛末は、改めてそのことを我々に思い知らせてくれたと言うべきだろう。