メルセデスは2010年までF1に復帰することはなかった。それまでにメルセデスはマクラーレンのエンジンサプライヤーとして大きな成功を収めていたが、その関係は2009年に新興チームのブラウンGPとの買収話がまとまったことによって終わりを告げた。

 メルセデスがF1で再びレースができるようにブラウンGPを売却したのは、ロス・ブラウンだった。多くの人々は、2009年にダブルタイトルを獲得したブラウンGPを引き継いだメルセデスが勝ち続けるだろうと考えた。さらにメルセデスは伝説的ドライバーのミハエル・シューマッハーに加え、前途有望なスターであるニコ・ロズベルグを起用していたのだ。だが、2010年に復帰したメルセデスは優勝できる強さはもっていなかった。

 メルセデスは最初の数年で苦戦していたが、同時にファクトリーでは将来に向けた土台を築いていた。2014年に新レギュレーションが施行されることになっていたので、どこよりも早くエンジンに取り組むことが重要だったのだ。チームはライバルたちよりも1年以上も早くエンジンに着手していた。

 シューマッハーが2013年の新車についてアドバイスすることもあった。しかし、残念なことにシューマッハーがそのマシンを乗る機会はなかった。ニキ・ラウダの交渉力のおかげで、2013年からルイス・ハミルトンがメルセデスに加入したからだ。2008年のF1王者であるハミルトンには、メルセデスが素晴らしいチームとなることが約束されていた。

 それはドリームチームの最初の片鱗であり、冬の間に適切な作業が行われた結果、2013年のマシンは実際に速かった。だが、速いマシンを作るのは“簡単な”部類だが、F1チームがタイヤを作るのは不可能だ。ここで“世界制覇”に向けた最初の政治的手腕のひとつが発揮された。2013年のスペインGP後にメルセデスはピレリを説得して、2013年シーズンを走るマシンでタイヤテストに協力することになったのだ。

 テストはピレリが呼びかけたものなので、メルセデスがペナルティを受けることはなかった。だが利点があることは明白であり、ロズベルグとハミルトンはその後の5戦のうち3戦で優勝した。勝てるマシンを理解するための最後の課題はこうして解決された。

 その間、ウォルフとラウダは別の政治的作戦を完遂しようとしていた。彼らは基本的にブラウンと公平な地位に立つことになったのだ。ブラウンは、勝利の時代に向けたすべての基礎を築いたにもかかわらず、2014年シーズン中にチーム内で彼の地位について対立が起こったため、彼はチームを去る決断をした。

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