──20年を経て、フェラーリ時代はどうでしたか。

「フェラーリの一員だったことを誇りに思っているよ。当然、成功を収めるために全力を尽くそうとした。いつかはチームが私の仕事を認めてくれて、望むことすべてを自由にやらせてもらえる日が来るだろうと自分に言い続けてきた。ところが、そのうちそれは叶わない夢だとわかった。だから、チームを離れたのだ」

「とはいっても、間違いなくフェラーリ時代は私のキャリアのハイライトだった。エンジニアとの関係は良好で、気持ち良く仕事をしていたよ。最後は自分とミハエルのためのタイヤ開発を担ったほどだ。つまり、チームから信頼されていなかったわけではなく、実際はかなり頼られていたんだ。ただ、チームが守りたかったのはミハエルだけだった。自分はこれ以上入り込めないとわかったよ。だから、潮時だと思いチームを去ることにした。とはいえ、唯一無二の経験だったし、間違いなく最高の時間を過ごすことができたよ」

──あの頃のフェラーリはドリームチームだと、誰もが言っていましたが、ジェームス・アリソン、マッティア・ビノット、アルド・コスタといった人材は、今日、さらに重要なポストに就いていますね。

「一緒に仕事をした中で、ジェームスは飛び抜けて愉快な男で、信じられないくらい頭が切れた。あのメンバーと一緒に仕事をしたのは、素晴らしい財産になった。そう思うと、チームを離れるという決断をしたのは、本当にもったいなかった。実際、フェラーリでの日々は楽しかったからね」

ルーベンス・バリチェロの操るフェラーリF2002
ルーベンス・バリチェロの操るフェラーリF2002

──F2002はどのようなマシンでしたか。

「ドライブした中では、最高の一台だった。もちろん、2004年のマシンも最高にコンペティティブだった。2003年のマシンはミハエルには扱いにくかったようで、実際、私のスタイルにより合っていた。2003年は不具合も多く何度もクラッシュした。あのシーズン、ミハエルは首に問題を抱えていたのではないかと思う。1月と2月、ほぼ毎日のように私だけがテストを行なっていたよ」

──F2002とブラウンGPのクルマは同格だと思いますか。

「そうだね、難しいところだけれど、2002年のマシンはベースがとても良かった。すでに言ったように、これまで知っている中で、風洞からコースへの移行が最もうまくいった例だったね」
 
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GP Car Story Vol.40 Ferrari F2002』では、今回お届けしたバリチェロのインタビュー以外にも見どころ満載。F2002の生みの親であるロリー・バーン、その最強マシンとシューマッハーの持てる力を最大限に生かす戦略を編み出したロス・ブラウン他、空力のニコラス・トンバジス、バーンの右腕アルド・コスタ、秘密兵器のギヤボックス設計者のジョン・サットンなど、車体開発のキーパーソンたちにも話を聞き、さらにはそんな彼らを集めドリームチームを築いたジャン・トッドも登場する。

GP Car Story Vol.40 Ferrari F2002』は現在発売中。全国書店やインターネット通販サイトにてお買い求めください。内容の詳細は三栄オンラインサイト(https://www.sun-a.com/magazine/detail.php?pid=12378)まで。

『GP Car Story Vol.40 Ferrari F2004』の詳細と購入はこちら
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