結局私はレースを見逃すのは惜しいと考えたので、この古びたバスでの旅を終わらせなければならなかった。なんとか泊まる予定だったホテルにたどり着くと、熱心なホテルオーナーが私にジョッキビールを奢りながら、この状況について謝罪してくれた。

 わたしはジョッキビールを(追加注文したものを含めて数杯)楽しんだ後、オーナーに進められた別のホテルを探しに向かった。最初に私が宿泊しようとしていたホテルは、ドイツやオーストリアによくある“ゲストハウス”のようなものだったが、紹介されたホテルはひどく趣のない高層ビルのような建物の中にあり、がら空きだった。

 フロントのいかめしい男性がチェックイン作業を済ませてくれ、部屋のドアまで案内してくれた。廊下は殺風景で、古い採掘機械の写真がたくさん飾られていた。照明がチラついていて、実はここが秘密警察(シュタージ)本部なのではないかと疑問に思ったものだ。

 翌朝、ようやく私はコースへ向かった。あの週末は2日間で2レースが開催されることになっており、それぞれ50kmのレース距離で競われる。イベント名のとおり、2レースあわせて“100”になるわけだ。パドックを歩くと、この週末初めてマシンを目にする機会に恵まれ、各チームがマシンをオーバル用にどう改良したかチェックすることができた。

 なかでもローラは最大限の努力をしてきたようだった。彼らは当時F3のマーケットで地盤を固め、ダラーラの牙城を崩そうとしていたのだ。チームが風洞で広範囲にわたる作業を行い、B06/30のために低ドラッグのパッケージを作り出したのは明らかだった。

ダラーラの牙城を崩そうとしていたローラは、ウイングミラー取り付け位置を変更して臨んだ
ダラーラの牙城を崩そうとしていたローラは、ウイングミラー取り付け位置を変更して臨んだ

 特に注目すべきなのは、ウイングミラーを従来のコクピットの位置から、サイドポッドの端の新しい位置へ移動させていたことだ。フロントとリヤのウイングは、ストレートと、バンクのあるロングコーナーの両方で安定するように改良されていた。

 イーストサイド100にエントリーしたローラの2チームのうち、1チームだけが専用の”オーバルキット”の使用を決めたのは興味深かった。もう一方のチームは、代わりにキットにかかるコストについて不満を述べた。そのチームは週末中競争力を発揮できなかった。

イタリアのコンストラクター、SLCはシャシーを大幅に改良。ボディパッケージも2種類用意する徹底ぶりだった
イタリアのコンストラクター、SLCはシャシーを大幅に改良。ボディパッケージも2種類用意する徹底ぶりだった

 イタリアのコンストラクターであるSLCも、競争力のあるパッケージを作り出すのに大きな努力をしたようだった。彼らはシャシー自体も全体的に新しくしていた上、2種類のボディパッケージをサーキットに持ち込んでいた。

 資金が少ないダラーラのチームのひとつは、調理用のざるをエアインレットに被せることで、エアリストリクターのハウジングの影響を削減する方法を見つけたと考えた。見た目は素人のようだが、1999年仕様のF399であるそのマシンは、非常に速いことを証明した。

 当時ローラにはオーバルレースの豊富な経験があったが、その他のドライバーやチーム、シャシーマニュファクチャラーのほとんどは、オーバルでの戦いは初体験だった。

 また私がソビエトの産業をテーマにしたと思われるホテルで何とか眠ろうとしていた頃、チームにとってさらに悪いことに夜通し大雨が降っていた。

 この荒天を受けて、レースをロードコースで行う提案もされたが、翌朝は晴れたため無事にオーバルでレースが開催されそうだった。

 しかし、主催者はレース開始40分前まではトラックレイアウト変更を通知する権利を有していたため、チームによっては突然のレイアウト変更に備え、予備のパーツをマシン横に置いているような状況だった。

 結局ロードコースへの変更は行われず、この週末最初の50kmオーバル戦が予定どおりにスタートを迎えた。一部のマシンは極端なセットアップに仕上がっていたようで、ピットレーンでマシンが斜めに走っているような場面もあった。

 このレース1ではシンディ・アレマンがダラーラ・メルセデスでポールポジションを取り、その横にはローラ・オペルのフェルディナンド・クールがいた。彼のチームメイトのホーピン・タンが後ろにおり、アレマンのチームメイトのランガー・バン・デル・ザンデは彼女のすぐ後ろにいた。

 フォーメーションラップの後でグリーンフラッグが振られ、レースが始まった。そしてそのレースは、間違いなく私がそれまでに見たなかでも最高のレースのひとつだった。

 2台体制で参戦し、しっかりと統率されていたチームは、すぐにそのアドバンテージを発揮した。ドライバーたちは北米モータースポーツを見て学習してきたのか、チームメイト同士でスリップストリームを使うようになり、1台で参戦しているチームは不利になって集団の後方の順位を争うことになった。

 ニコ・ヒュルケンベルグのようにワークスのリジェを駆るドライバーは、予選で速いマシンを持っていても、集団の前に出ていけるとは限らなかった。ドライバーに適切な指示を与えていないチームは、SLCのドライバーがそうだったように苦戦した。彼らは協力して戦おうとせずに、結果として順位を落とした。

 それはとてもスリリングで魅惑的なレースで、私は何度首位が入れ替わったのかフォローしきれなくなってしまった。最終的にローラのホーピン・タンが、アレマンとバン・デル・ザンデに僅差で勝利した。ダラーラとのバトルでノーズとフロントウイングを損傷したヒュルケンベルグを含め、多くのドライバーが軽い接触でマシンにダメージを負っていた。

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サム・コリンズ(Sam Collins)
F1のほかWEC世界耐久選手権、GTカーレース、学生フォーミュラなど、幅広いジャンルをカバーするイギリス出身のモータースポーツジャーナリスト。スーパーGTや全日本スーパーフォーミュラ選手権の情報にも精通しており、英語圏向け放送の解説を務めることも。近年はジャーナリストを務めるかたわら、政界にも進出している。

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