めちゃくちゃに良かったといえば、最後に私が見たマシンもそうだ。それは日産車で、2002年のJGTC全日本GT選手権に参戦したスカイラインGT-Rに着想を得たものだったが、改造にそれほど費用をかけなかった、もしくは実際にはベースがGT-Rではなかったようだ。
代わりにそのマシンのオーナーは、1980年代後半の日産のセダンを使い、そこからGT500マシンを作り出そうとした。
その試みはある程度は成功していた。彼は金属製のボディパネルをグラスファイバー製に交換し、シャシーを大幅に改造し、SR20DETエンジン(大幅にチューニング済み)を載せていた。
そのボディワークは興味深いものだった。ほとんどの部分は彼がインターネットで見つけたGT500マシンの写真を元にしたものだった。彼はちゃんとしたフラットフロアやディフューザーを作るためのパーツを買う余裕がなかったので、それらのパーツを木で作っていた!
レースが始まると、地元のカルチャーとして私もレース観戦中にたくさんのラム酒を飲む必要があることを理解した。そうしないとホストに対して失礼なのだ。私はラム酒をよく飲むタイプではなかったが、氷をたくさん入れて楽しんだ。
私はレースを楽しんだが、それはめちゃくちゃに良かった。コースは幅が非常に狭く、追い抜くのが難しい。そのためマシンの接触がとても多かった。
コーナーのうち2カ所はランオフエリアがまったくなく、古い波型の金属製のフェンスが張ってあるだけだった。このフェンスの反対側は公道だった。
すぐにあるマシンがコントロールを失って、フェンスに突っ込んだ。私はこれはブッシー・パークでのレースでは普通のことなのだと気づいた。フェンスのパネルは蝶番で開くようになっていたからだ。
マシンがフェンスパネルの下部にぶつかると、フェンスパネルが開いて、マシンは公道に出される。そしてフェンスは壊れることなく元に戻るのだ。
コース上でクラッシュしたマシンは、公道を走ってメインのサーキットゲートにまわり、パドックを通過してコースに戻り、レースを続けるのだ!このようなことを私はまったく目にしたことがなかった。
トップクラスの最初のレースで、私は見通しの良い場所まで歩いていき、何枚か写真を撮った。後ろに立てるようなバリアがなかったので、私はサーキットの一部に並べられたドラム缶の後ろに立っていることにした。
だが私がドラム缶の上にカメラを置いたとき、ドラム缶が空であることに気づいた。もしマシンがコースオフしてきたら、ドラム缶はまったく保護の役目を果たさないだろう。私は多少は安全なパドックに戻ることにした。
レース自体は、現バルバドス王者でRX3を駆るマロニーと、現ガイアナ王者であるマーク・ビエラの間の遺恨試合のようなものだった。ビエラのマシンは日産300SXだったと思うが、大幅に改造されていたので特定するのが難しかった。
このふたりの激しいライバル関係は1年中続いており、それがヤマ場に達していようとしていることを後になって私は知った。
レースが始まると、ふたりのライバルはすぐに互いにマシンをぶつけ合い、地元のヒーローのマロニーのRX3はスピンしてストールした。レースはすぐに中断された。
憤慨したファンたちがコースに侵入したのだ。地元民の一部はビエラの行動に抗議しており、ガイアナ人の一部は地元民に抗議していた。観客席とパドックでは喧嘩が始まっていて、私には暴動の始まりのように見えた。
突然、2台のレーシングカーが私とイギリス人のサーキットデザイナーのいるところに寄せてきて、私たちは助手席に乗るように言われた。
私は何が起きているのかまったくわからなかったが、このふたりのドライバーは地元のドリフトチャンピオンで、ドリフトショーをやろうとしていた。私に何をしてほしいのかと尋ねると、「助手席に座って、ファンたちに手を振り、彼らがマシンを見るように促してほしい。そうすれば彼らの注意をそらすことができるから」ということだった。
ライバルグループの観客たちの間では暴動が起こりそうだったし、ピットではメカニック同士が喧嘩していたが、私はドリフトショーの間、助手席に座っていた。それはクレイジーだったが、うまくいった。数分後、ドリフトショーを見るために群衆は観客席エリアに戻ったのだ。
レースは続き、アクションに満ち溢れていた。それは私が見てきたなかでも、もっとも楽しいレースデーのひとつとなっている。私は誰がどのレースで優勝したのかわからなかったが、それは大したことではなかった。レース自体が非常に素晴らしかったからだ。それはモータースポーツ版のワイルド・ウエストで、私はとても気に入った。
その当時の写真やビデオはそう多くは残っていないが、2010年のブッシー・パークでのCMRCレースは、YouTubeで見ることができる。クレイジーなコースとクレイジーなマシンは一見の価値がある!
数年後、私はバルバドスに戻り、あるレースに4台のマシンとドライバーをエントリーした。そのレースもワイルドであり、喧嘩も起きた。絶えずラム酒が振舞われ、非常に楽しかった。そのときはある理由から、ドライバーの妻のうちのひとりを刑務所から出さなければならなかったが、それはおそらくまた別の記事にする。
今日のブッシー・パークは以前よりは落ち着いている。2005年に我々が訪問した後にプロジェクトが開始され、コースの拡張と改修が行われた。
現在ではきちんとしたピットレーンとピットガレージを備えている。バリアも設置されているし、コースの路面も十分に整備されている。現代的なレーシング施設になったのだ。
ルイス・ハミルトンは何度かここを訪れて、ただ楽しむためにメルセデスのF1マシンで数周走ったことがある。荒々しさの片鱗を失いはしたが、それでもここは訪れるにはとてもクレイジーな場所だ。
いつもと違う休暇の目的地を探しているのなら、私はバルバドスに行って毎年恒例のCMRCレースを見ることを強くお勧めする。忘れられないものになるし、ラム酒を気にいることだろう!
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サム・コリンズ(Sam Collins)
F1のほかWEC世界耐久選手権、GTカーレース、学生フォーミュラなど、幅広いジャンルをカバーするイギリス出身のモータースポーツジャーナリスト。スーパーGTや全日本スーパーフォーミュラ選手権の情報にも精通しており、英語圏向け放送の解説を務めることも。近年はジャーナリストを務めるかたわら、政界にも進出している。