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ル・マン/WECニュース

投稿日: 2010.10.29 00:00
更新日: 2018.02.15 23:15

ポルシェ往年の名ドライバー、シュトレーレ氏を追悼


ポルシェで活躍したレーシングドライバーが83歳で逝去

ポルシェがパウル・エルンスト・シュトレーレ氏を追悼

ポルシェAG(本社:ドイツ、シュトゥットガルト 社長:マティアス・ミューラー)は、1950年代から1960年代にもっとも大きな成功を収めたポルシェのレーシングドライバーの1人として知られたパウル・エルンスト・シュトレーレ氏の死を悼んでいます。
パウル・エルンスト・シュトレーレ氏は10月17日(水)、生まれ故郷のショルンドルフで息を引き取りました。享年83歳でした。ポルシェAGの研究開発担当役員であるヴォルフガング・デュルハイマーはこれを受け次のように述べ、この往年のレーシングドライバーに対する敬意を示しています。「パウル・エルンスト・シュトレーレ氏は戦後のドイツにおいて、もっとも重要でもっとも幅広く活躍したモータースポーツのパイオニアのひとりでした。数々の国際レースで優れた成績を挙げ、彼はさながらドイツの代表的なモータースポーツ大使のような地位を築きました。ポルシェは、特にモータースポーツ部門設立当初から今日まで積極的なご協力を頂いた友人を失いました」。

パウル・エルンスト・シュトレーレ氏は1927年9月20日、シュヴァーベンの航空業界のパイオニアであったパウル・シュトレーレ氏の息子としてショルンドルフに生まれました。彼は第二次世界大戦後、両親が経営する自動車/オートバイのショップで機械および経営の見習いを終えます。後にこのショップは彼によってフォルクスワーゲンおよびポルシェのディーラーとなっていました。1951年以降、パウル・エルンスト・シュトレーレ氏はモータースポーツにも情熱を注ぎ、当初は「Dapferle」と呼ばれたポルシェ エンジンを搭載したVWビートルで「ミッレミリア」などで勝利しました。1950年代後半以降、彼はポルシェ356で、ヨーロッパでもっとも大きな成功を収めたスポーツカーのドライバーのひとりとなりました。彼はイタリアの「ミッレミリア」、ニュルブルクリンク1000 kmレース、シシリアの「タルガフロリオ」など、メジャーなレースで数え切れないほどのクラス優勝を果たし、また、ラリーにおいてもアドリアラリー(1953年、1956年)、ツアー・オブ・ベルギー(1957年)、リエージュ〜ローマ〜リエージュ・ラリー(1959年)、ツール・ド・コルス(1960年)などで総合優勝を飾っています。

シュトレーレ氏は、ドイツ・モーター・レーシング・チャンピオン(1955年)、ヨーロッパ・ラリー第2位(1956年)、ドイツ・ラリー・チャンピオン(1958年)などを獲得した後、好調なディーラー業務に専念するため、1963年にモータースポーツの第一線から退きました。しかし、1966年には「Stra¨hle Autosport」レーシングチームを結成し、約30年にわたり数多くのレースでポルシェにより成功を収めました。1977年以降、パウル・エルンスト・シュトレーレ氏はヒストリカル・モータースポーツの分野でも貢献を果たしています。彼が所有する「WN-V2」というナンバープレートのポルシェ356Aカレラは有名で、多くのクラシックカーのイベントに参加するたびに注目を集めるに留まらず、当然のように優勝を果たしました。

パウル・エルンスト・シュトレーレ氏はごく最近までポルシェと緊密な関係にありました。彼はシュトゥットガルト-ツッフェンハウゼンのポルシェミュージアムをたびたび訪れ、自身が所有しミュージアムに貸し出していたポルシェ356「V2」レーシングカーのプレゼンテーションを彼自身で行っていました。


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