取材に同席した琢磨アドバイザーも、今回の太田の挑戦には大きな期待をかけている。
「2019年に話をして、その後パンデミックになってしまって、みんながうまくレースできる環境ではなくなったなかですごい頑張っているのは見ていました。だからSFに乗れるチャンスがあったときは、すごく嬉しかったですね」と琢磨アドバイザー。
「(2023年最終戦の)初優勝の後は、『本当に良かったよね、来年に繋げようね』という話をして、今年はエグゼクティブアドバイザーとして多くのレースに帯同させてもらって、カクのレースも本当に間近で見て。スタートできなかったり、アクセル関係のトラブルが出たりとかが続いてしまったけど、トップコンテンダーとして常に戦っていたカクの成長は、ずっと見ていました」
琢磨アドバイザーによれば、HRCの世界的なブランド統一の動きが始まったときから、この種のプロジェクトの話は内部で出ていたという。「ドライバーもある程度は目星がついていたんだけども、『いつ言うか』みたいなタイミングについては、HRCのなかでもずっと話はしていました」。
その話は2024年8月頃にはまとまりかけていたようで、琢磨アドバイザーはIMSA挑戦の話を携えて、スーパーフォーミュラのモビリティリゾートもてぎ戦に向かった。結果はご存知のとおり、ダンディライアン同士の激しいトップ争いの末、最後は太田のスロットルトラブルにより、勝負が決してしまった。
号泣しながらピットに帰ってきた太田の隣には琢磨アドバイザーの姿があったが、さすがにIMSAの話はできなかったという。太田にはもてぎ戦の2日後に、「こういう話があるんだけど」とアメリカ挑戦が伝えられた。
「伝えたら、もう一気にテンションが上がって。その後のレースもずっとトップコンテンダーで来てくれてましたから。今日こうやってようやく正式に発表できて、過去2カ月、彼はもう家に帰れないくらい忙しい生活を送っていて、いまはいろいろなことを吸収している最中だと思うので、本当に楽しみですね」(琢磨アドバイザー)
そして世界への挑戦が決定した状況のなか、太田はSFの最終鈴鹿ラウンドで2連勝を遂げる。「(アメリカに)行くって決まってるのに最後に10番手とか走っていたら、今日も恥ずかしいじゃないですか(笑)」と、負けられない状況であったことを振り返った太田。琢磨アドバイザーも、その種のプレッシャーがかかる状況のなかで2連勝を達成したことは「頼もしかった」と評している。
まだアメリカ現地でのレースを生で見たことはないという太田。2025シーズンはスーパーフォーミュラにも引き続き参戦することが発表されており、大陸間の移動を繰り返すタフな1年となりそうだが、海外挑戦の第一歩をどういった形で踏み出してくれるのか、まずは1月のデイトナ24時間レースから注目したい。