ライアンは言う。大きな組織の中での仕事の進め方、制御によるセッティング変更など、日本では経験してこなかったような課題と対峙し、それを学ぶことでレベルアップすることができたと。
「今まで自分が知らなかったり、考えたこともないようなやり方を経験した結果、他のカテゴリーを担当した時も、今までとは違う見方をしたり、アイデアを試すことができるようになったよ。その一方、日本で学んできたことを、WECで活かすこともできている。スーパーGTやSFといった、限られた部分しか変えることができないレース環境下で見つけた、面白いアイデアも多くあるからね」
「可夢偉選手や野尻(智紀)選手は、とっても細かい部分まで求めてくるドライバーだったから(笑)、すごく勉強になったよ。彼らとやってきたことが今、セバスチャン(・ブエミ)やブレンドン(・ハートレー)と仕事を進める中でもプラスに働いているよ。いろいろなタイプのドライバーがいる中で、彼らのような要求が細かいドライバーたち(笑)は、エンジニアに高いレベルを求めるし、プッシュしてくるので応えるのが大変なんだ。でも、自分が成長する上ではとてもいいことだと思っているよ」
日本から海外に活動を移す時、それがエンジニアであってもドライバーであっても、英語が大きな壁となる。しかし母国語が英語であるライアンにとって、それはまったく問題にならなかった。加えて、日本語がほぼネイティブレベルだったことが、8号車の一員である平川(亮)らとより密接なコミュニケーションをとる上でもプラスに働いた。
「最初の頃は日本語で話していたけれど、今はほとんど英語だね。亮の英語力は、多分僕の日本語よりも上だと思う。僕はこっち(ドイツ)に来てから、日本語がかなり下手になってしまったよ。でも、亮と秘密のハナシをする時は今でも日本語なんだよね(笑)」
■レース中は感情を表に出さない
ところで、以前に掲載したTGR-Eのシミュレーター紹介記事でも言及していたように、ライアンはTGRのモータースポーツ活動が、もっといいクルマづくりを加速させると考えている。
「今、自分たちがWECなどのレースでやっているシミュレーション技術は、量産車開発でも間違いなく役立つと思っているんだ。特に次世代のハイブリッド車(HEV)やBEVなどでね。ドライバーからは見えない、例えば、クルマの裏の制御プログラミングでは、モータースポーツ由来の技術を活かすことができるんだ」
「でも、そういった技術面以外でもトヨタがモータースポーツをやり続ける意義や効果はあると思うね。僕が子どものころにル・マンやF1で活躍するクルマに憧れてこの道に進んだように、『レースって面白いよね』『スポーツカーが欲しいなぁ』と若い人たちに思ってもらえるような活動をすることも大事なんじゃないかな」

物腰柔らかく、とても理知的なライアンだが、少年時代は“氷上の格闘技”であるアイスホッケーの選手だった。心の中には荒々しいビーストが潜んでいるに違いない。
「超負けず嫌いだと思うよ。でも、感情の波が激しいのはレースエンジニアにとって良くないから、レース中は自分ができることを冷静沈着にやり遂げることに集中している」
「ライバルのことは特に意識せずに、自分たちのクルマを速く、問題なく走らせることだけに集中しているんだ。対戦相手がフェラーリだろうと何だろうと関係ないよ。日本のために、そしてトヨタのために勝ちたい。ただそれだけだよ」
優しい笑顔に隠された、烈々たるアスリート魂。2025年、残念ながらル・マン制覇とはならなかった。でも、その無念の思いが彼をさらに強くする。タイトル奪還、そして来年のル・マン24時間優勝に向けて、日本育ちのエンジニア、ライアン・ディングルの挑戦は続く。
