いまや世界中のGTカーレースで活用されているのが、GT3カテゴリー。独特の性能調整をベースとし、さまざまな車種バラエティが競い合う環境を生み出し、多くのメーカー、車種が覇を競い、ワークスチーム、そして数多のプライベーターに愛されてきたカテゴリーだ。日本でもスーパーGT GT300クラス、スーパー耐久ST-Xクラス、SROジャパンカップ等で活用されているが、そんなGT3の初レースとなったのが、2006年5月6〜7日にイギリスのシルバーストンで行われたFIA GT3ヨーロッパ選手権。20年前の新たなGTカテゴリーの誕生を、シリーズの生みの親であるSROモータースポーツ・グループが振り返った。

 GT3カテゴリーは、2005年12月にモンテカルロで行われた発表イベントでお披露目された。FIA GT選手権を運営し、GT3を生み出すことになったSROモータースポーツ・グループのファウンダー/CEOのステファン・ラテルは、GT3を生み出す理由がふたつあったと振り返る。ひとつは高騰する費用への対策、そしてもうひとつは、当時も今もGTレースの屋台骨を支えるアマチュアへの良質なサービスの提供だ。

「当時、GT2のコストは持続不可能なレベルに達していたし、ふたつのメーカーに支配されていたんだ」とラテル。「多くのチームやチューナーからGT3には強い関心が寄せられたこともあり、FIA GT選手権(当時GT1とGT2で争われていた)に統合するのではなく、GT3の独立したシリーズとして立ち上げることにしたんだ」

「同時に、ランボルギーニ・スーパートロフェオで先駆けて採用されていた、ふたりのドライバーが1台をシェアし、1時間レースを2回行うスプリント形式を採用するなど、いくつかの新しい要素を導入したんだ。だから成功する確信があったんだよ」

 GT3の大きな革新点のひとつが、既存の車種を活用することでメーカーの投資を大幅に削減し、性能のバランスを調整して公平性を保つことだった。ラテルはこのコンセプトをFIAに持ち込み、当時のFIA会長だったマックス・モズレーからの全面的な支持を得た。

 2005年12月、GT3はモンテカルロでお披露目イベントが行われ、それから6ヶ月に満たない2006年5月6〜7日、シルバーストンで行われたスーパーカー・ショーダウンのイベントのひとつとして、GT3による初レースが行われた。この週末はフェラーリ・チャレンジとマセラティ・トロフェオも開催され、約150台ものGTカーが集まっていた。

 この年、初年度のFIA GT3ヨーロッパ選手権に参加したのが、現在も同カテゴリーで活動を続けるバーウェル・モータースポーツ。アストンマーティンDBR S9を走らせたチーム代表のマーク・レマーは「他のほとんどの新興シリーズとは違って、このシリーズではステファンが各メーカー6台という条件を設けたのがすごく独特だった」と振り返った。

「記念すべき第1戦には50台近いマシンがグリッドに並んでいたんだ。まさに驚愕の光景だったよ」とレマー。

 この2006年FIA GT3ヨーロッパ選手権開幕戦シルバーストンには、最終的に44台がエントリー。下記の8メーカーの車種が揃った。

アストンマーティンDBR S9
シボレー・コルベットZ06
フェラーリF430チャレンジ
ランボルギーニ・ガヤルド
ポルシェ911 GT3カップ(997)
アスカリKZ1R
ダッジ・バイパー
マセラティ・グランスポーツライト

GT3の初レースから20年。SROモータースポーツ・グループが振り返る2006年FIA GT3ヨーロッパ選手権開幕戦
GT3の初レースとなった2006年FIA GT3ヨーロッパ選手権第1戦シルバーストン

●ドラマチックな展開となったGT3初レース

 フェラーリF430チャレンジを走らせたチームの中には、イギリスGTの常連だったヘクター・レスターと、2013年にル・マンで命を落としたアラン・シモンセンのコンビで参戦したJMBレーシングチームが参戦していた。エンジニアのジョン・ブキャンが当時を振り返った。

「JMBは2台のクルマを持っていたんだけど、3台目を見つけるのに苦労していたんだ。そこで、ステファンが話を持ちかけてくれてヘクターとディジョンでのテストデーで会ったんだ。そこで参戦を決意して、次に会ったのはシルバーストンだった」とブキャン。

「スコットランドでクルマを用意して、シルバーストンに持ち込んだんだ。GT3仕様に改造したんだけど、基本的にバンパー、スプリッター、リヤウイングを換えただけで、それ以外は何もしなかった。でも実際に走ってみたら、アランがフロントロウに並んでくれたんだ」

 現在のGT3カテゴリーでは、例えばマックス・フェルスタッペンがニュルブルクリンク24時間に挑むためにメルセデスをドライブしているが、20年前であったなら、ミハエル・シューマッハーが参戦しているようなものとSROモータースポーツ・グループは例えた。ただ、当時は事実上FIA GT3はプロの参加を禁止しており、シューマッハーの参戦は実現しなかった。グリッドはアマチュアが中心。シモンセンや、最終的にチャンピオンを獲得したショーン・エドワーズのような数人の新星が速さをみせた。

「これはジェントルマンドライバーを対象にしたレースだったからね」とラテル。「経験とスキルのレベルに関してのルールを設けていて、ワークスドライバーや、シングルシーターで輝かしい実績をもっているドライバーは除外したんだ」

 例外として認められたのが、ル・マン24時間での三度の王者であり、DTMドイツ・ツーリングカー選手権王者経験者のクラウス・ルートヴィッヒ。当時56歳という年齢でそれを理由に参戦を認められたが、実力は健在で、シモンセンを抑えポールポジションを獲得した。

 この時のルールでは、各クルーのうち最速のドライバーがレース2に出場することになっており、JMBレーシングのフェラーリはレスターがレース1のスタートを担当したが、路面はウエット。レスターは1周目にスピンを喫し、2台のダッジ・バイパーが序盤をリードした。ただ1時間レースの後半、路面が乾きはじめると流れが変わった。シモンセンは、ピットでその様子を見ながら幸運を感じていた。

「路面は濡れているように見えたが、アランはスリックに交換することを提案してきた。最初の数周はかなり慎重な走りだったんだけど、その後、彼は一気にトップに躍り出たんだ」とブキャンは振り返った。シモンセンはまるでGT1カーを運転しているようなスピードで自在にオーバーテイクを繰り返し、ファイナルラップの1周前に、エドワーズがドライブしていたポルシェを抜き去り、初めてのGT3レースを制した。

「1周に4〜5台を抜くことができて最高に楽しかったよ。このシリーズは素晴らしいね。まさか初戦に44台も集まるなんて、誰が想像しただろうか」とシモンセンはレース後コメントした。翌日のレース2でも、レスターがファイナルラップまでリードしたが、アンドレア・チェッカート/ステファノ・リヴィオ組バイパーが勝利を飾った。

 アストンマーティンを走らせていたバーウェル・モータースポーツのレマーは、多くの参加者とドラマチックなレースは大成功を収めたものの、いくつかの改善すべき点があったと振り返った。

「(アストンマーティンのレーシングカーを製作していた)プロドライブはこのレースに必要なものを過小評価していて、最初のレースではHパターンのギヤボックスで、5穴のホイールナットだったんだよ! でもこれでは通用しないと悟ったんだ。プロドライブは素晴らしい対応をしてくれて、次のレースまでにシングルハブのホイールナットと6速シーケンシャルギヤボックスを装備できることになったんだ」

 SROモータースポーツ・グループは、この一戦が「スポーツカーレースの未来になるとは到底思ってはいなかった。FIA GT3は主にアマチュアに焦点を当て、メーカーよりもチームが重要な役割を果たすシリーズと位置づけられていたからだ」とした。

「しかし現代の言葉で言えば、GT3はまさに旅に出ようとしていた。設立当初から人気を博した要素、とりわけ複数メーカー間の公平性は、GT3をますます魅力的なものとしていった。20年後、GT3はGTレースを支配するだけでなく、GTカーレースそのものを定義する存在になった」

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