オープニングセレモニー中の通り雨によって、路面が完全にウエットになるほど雨が降り、スタート直前には雨が止むという、まさかの展開からスタートした89回目のル・マン24時間レース。レース序盤は、追突やスピンが頻発する荒れたものとなった。

28番グリッドからスタートのプロジェクトSRT41の84号車は、チーム内の健常者ドライバーであるライエがスタートドライバーを務め、この序盤の難しい路面コンディションの中をミスなく車両を進めていく。
燃費の関係で10~11周に1回の給油のピットインが必要だが、ライエが3スティントを終えたところで、青木へとドライバー交替をして、自身初のル・マン24時間レースを戦うこととなった。ソーセに次ぐ2人目の車いすドライバーとして、このル・マン24時間レースに参戦したことになる。天候が不安定なタイミングでの走行でスピンを喫したものの、マシンを壊すことなくその後は安定した走行を進めていった。
84号車は序盤に順位を落としこそしたものの順調に走行を進め、順位を徐々に上げていくことに成功。当初はライエにより多くの走行を分担する作戦が取られていたが、最終的には334周、総合32位でこの24時間レースを走り切った。
ちなみにピット内でのドライバー交替のため、マシンがピット内に入っている時間は2分から長い時で3分を超える。通常のピットロード上でのドライバー交替&タイヤ交換を30秒とカウントしてもピット1回あたり2分前後のディスアドバンテージだ。
今回84号車は13回のドライバー交替を行なったことから、あと7周分(平均ラップタイムを3分45秒と計算)を走れるほどの速さを持っていたと考えられる(その場合の順位は25位あたりになるだろう)ことを加えておく。
チェッカードライバーとして最終スティントを担当した青木が、無事にホームストレートにマシンを止め、スタッフの手を借りて車両から降りた際には、会場からは非常に大きな歓声と拍手が贈られた。
レース後、青木拓磨はこう語った。
「最初は、路面が濡れていたり、砂利が出ててダスティだったりしてコースを確認する必要があったりしたためペースが上げられなかったですが、周回を重ねていくたびに、ペースも上げることができました」
「夜のスティントもしっかりアタックして走ることができました。5回乗ることになりましたが、日の入り・日の出のタイミングも最後のチェッカーのタイミングも走らせてもらって、この1年に1回しか走ることができない神聖なるサルト・サーキットを、ほんとうに1周1周噛み締めながら走りました」
「ここに来させていただくことができたのは多くの皆さんの協力や支えがあったからです。感謝したいと思います。これで、僕が事故をしてからずっと24年間持ち続けてきたひとつの夢が叶いました。次の目標は、またこのサルト・サーキットに戻ってくることです!」

■「妨害しようとする嫉妬深い馬鹿者たちもいた」とソーセ代表
足かけ4年にわたる挑戦はこれでゴールを迎えたことになる。このプロジェクトをまとめてきたソーセ代表は「まず第一に、SRT41ファミリーみんなにありがとうと言いたい。我々は2016年に続き、再びモータースポーツの世界に新しいページを刻み、歴史を作った。支持してくれた人たちには心から感謝する」とコメントしている。
「このチャレンジがうまくいくと信じていた人は少なかったし、このチャレンジを妨害しようとする嫉妬深い馬鹿者たちもいた。それでも我々はこれを成し遂げ、大満足の結果になった! また、こんな感動的な瞬間をチームのみんなと共有できることを願っている!」
誰もが諸手を挙げて迎え入れてくれたわけではなく、資金面でもコロナ禍で本業が厳しくなっている中でソーセ氏自身が多くの私財を投げうっての参戦だった。ここまでの道のりは険しかったことを知る者も多い。ミッションSRT41が、今後のモータースポーツ業界に一石を投じた意味は大きい。
