これまでのキャリアのなかで「もっとも大きな喜びは?」と訊ねると、一貴は「意外かもしれませんが」と前置きし、2012年のフォーミュラ・ニッポンでのタイトル獲得を挙げた。「意外かも」と言う理由は、日本人+日本メーカーの車両で初めて達成した“ル・マン優勝”ではないから、ということだろう。

「自分にとっては初めての大きなタイトルでしたからね。F1を終えて日本に帰ってきたときの大きなターゲットでしたし、まわりからの期待もあって、獲りたい、獲らなきゃいけないという気持ちは非常に強くありました」

「ちょっと運が良かったことはたしかですが、結果としてタイトルを獲れたのはうれしかったですし、大きな出来事でした。ファンのみなさんが思っている以上に、国内トップフォーミュラのタイトルを獲ることに対してドライバーは強い思い入れがありますし、重みを感じています」

2012年、国内最高峰フォーミュラのタイトルを手にする。当時のチームメイト、アンドレ・ロッテラーからは、今回の引退発表後に久しぶりに連絡が来たという。
2012年、国内最高峰フォーミュラのタイトルを手にする。当時のチームメイト、アンドレ・ロッテラーからは、今回の引退発表後に久しぶりに連絡が来たという。

 では反対に、一番つらかったのはいつになるのか。

「ベタなのは2016年のル・マン24時間ですよね(苦笑)。でも、自分のキャリアでいうと、2009年のF1は結構大変でした。1年間戦って0ポイント。結果だけを見れば、箸にも棒にもかからない年でした」

「僕自身の手応えや肌感覚としては、クルマも相対的に戦闘力があった年でしたし、チームメイトとの比較という部分でも悪くはなかったんですが、自分のミスや展開で見事に何も結果が残りませんでした」

「どこかでボタンをかけ違えたら、最後までそのままだった。アプローチを変えたり、戻してみたりしても毎回すべて外れて、『こんなことってあるのかな?』と思うような、本当に厳しい年でした。ただ、逆にすごく鍛えられたところもあり、いい勉強にはなりましたね」

F1フル参戦2年目のシーズンとなった2009年は、無念のノーポイントで終える
F1フル参戦2年目のシーズンとなった2009年は、無念のノーポイントで終える

 日本のトップフォーミュラを制し、ル・マンも3回勝った。4輪では日本人で初となる世界タイトルも獲得。自らのレーシングドライバーとしてのキャリアについて、一貴は「満足しているし、後悔はひとつもありません」と総括する。

「強いて言えば、国内のレースの最後をコロナの影響でグダグダな感じで終えてしまい、自分としてはもう一度納得できる状況でしっかりやりたかった。それが最後にできなかったのはすごく残念ですし、チームにもファンのみなさんに対しても申し訳ない気持ちです」

「レース人生は、楽しかったですね。もちろん、苦しいこともありましたし、正直、毎戦苦しかったですけど、それでもいい結果を出させてもらえたと思います。いい方々に恵まれたなかで仕事をすることができたので、本当に幸せなキャリアだったと思います」

 引退インタビューの完全版は、12月24日発売のauto sport No.1567に掲載している。

引退を発表した2022年体制発表会では、豊田章男トヨタ自動車社長から花束が贈られた。
引退を発表した2022年体制発表会では、豊田章男トヨタ自動車社長から花束が贈られた。

引退発表から数日後、都内スタジオで行われた取材時の様子。これからの職務をイメージし、ビジネススーツでの撮影も行った
引退発表から数日後、都内スタジオで行われた取材時の様子。これからの職務をイメージし、ビジネススーツでの撮影も行った

『auto sport』No.1567の詳細はこちら
『auto sport』No.1567の詳細はこちら

本日のレースクイーン

優羽ゆうは
2025年 / スーパー耐久
LOVEDRIVE RACING
  • auto sport ch by autosport web

    FORMATION LAP Produced by autosport

    トランポドライバーの超絶技【最難関は最初にやってくる】FORMATION LAP Produced by auto sport

  • auto sport

    auto sport 2026年1月号 No.1615

    ネクスト・フォーミュラ 2026
    F1からカートまで
    “次世代シングルシーター”に胸騒ぎ

  • asweb shop

    STANLEY TEAM KUNIMITSUグッズに御朱印帳が登場!
    細かい繊細な織りで表現された豪華な仕上げ

    3,000円