• 大会:1991年第11戦ベルギーGP
  • 出走チーム:ジョーダン・フォード
  • 予選:7番手
  • 決勝:リタイア

 母国ドイツやヨーロッパのカートレースで頭角を現わしたシューマッハーに対しては、ジュニアフォーミュラへ昇格してからも彼の速さを誰も疑っていなかった。1989年当時はヨーロッパ各国でF3選手権が開催され、イギリス、フランス、イタリア、そしてシューマッハーが参戦したドイツ。同年のドイツF3は大激戦で、最終的に2勝/164点を稼いだカール・ベンドリンガーが王座に就き、選手権2位に3勝/163点のハインツ-ハラルド・フレンツェン、選手権3位に2勝/163点のシューマッハーが続いた。ただし、フレンツェン、シューマッハーは参戦1年目。ベンドリンガーはドイツF3参戦2年目という背景もあっただろう。

 こうしたドイツ語圏の若手の活躍に感化されたか、ドイツの巨人メルセデスはようやく重い腰を上げた。ベンドリンガー、フレンツェン、シューマッハーをまとめて雇い入れて、1990年のWSPC世界スポーツプロトタイプカー選手権ではベテランドライバーと組ませて、グループCカーで走らせようと計画・発表した。メルセデス・ジュニア・プログラムの誕生である。

 このプログラムを提案・主導したのは、メルセデス・モータースポーツ部門のボスであるヨッヘン・ニーアパッシュ。かつて彼が所属したフォードやBMWでも同様のプログラムを推進していた。WSPCは1991年よりSWC世界スポーツカー選手権として生まれ変わり、形式がF1と同じ3.5リッター自然吸気エンジン搭載車が主流となる。車体自体もより軽くなり、フォーミュラカーで速い若手がメルセデスにとっては必要だった。

 3名のうちフレンツェンは1990年のWSPCを1戦走っただけでジュニア・プログラムから離脱。タバコブランド『キャメル』の資金で1990年の国際F3000選手権をエディ・ジョーダン・レーシングで走るようになった。そのため、ベンドリンガーとシューマッハーが1990年と1991年のメルセデス・ジュニア・ドライバーとして重用されるかたちとなった。

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メルセデスジュニアチームとしてWSPCに参戦したミハエル・シューマッハー(左)、カール・ベンドリンガー(中)、ハインツ-ハラルド・フレンツェン(右)

 迎えた1991年第11戦ベルギーGP。ジョーダン・グランプリは思わぬかたちでレギュラードライバーであるベルトラン・ガショーの欠場を余儀なくされる。1990年12月にイギリス・ロンドンでタクシー運転手との間で起きた交通トラブルの末にガショーは催涙スプレーを発射。逮捕・起訴後、本件の裁判で実刑判決・即時収監されたのはまさにスパ・フランコルシャンでのベルギーGP直前だったからだ。

 大至急代役を立てる必要に迫られたジョーダン。一方、その苦境に目を付けたメルセデスは15万米国ドルの活動費をチームへ払う約束で、シューマッハーのF1デビューを進言した。当時シューマッハーのマネージャーだったウィリー・ウェバーも、「シューマッハーはスパをたくさん走り込んでいる」と嘘をついた。そしてベルギーGP直前、イギリスのシルバーストン・サーキットでシューマッハーが見せた好パフォーマンスが決定打となった。

 ベルギーGP予選でシューマッハーは、同僚アンドレア・デ・チェザリスの11番手を大きく上回る予選7番手を獲得。マクラーレン・ホンダやフェラーリに続き、ウイリアムズ・ルノーやベネトン・フォードの一角を打ち破るもので、一躍パドックの注目を浴びた。もっとも決勝レースは1周目にクラッチトラブルでリタイアしてしまう。

 シューマッハーが走らせたジョーダン191はもともとクラッチに脆弱性があったと、チーフエンジニアのゲイリー・アンダーソンが認めている。シューマッハー自身のミスを指摘する向きもあった。1990年と1991年の彼の主戦場はローリングスタートだったWSPCとSWCであり、スタンディングスタートでクラッチに大きな負荷の掛かるF1に慣れていなかったという指摘だ。結局のところこれらの要因が相まって、シューマッハーのF1デビューはオープニングラップでリタイヤというほろ苦い結果に終わった。

「完璧なスタートで1コーナーまでに5番手へ上がれた。自分はF1でも通用すると確信した」とレース後に語ったシューマッハー。一方で後年の彼は、「決勝前、朝のウォームアップでにクラッチに問題があることは気づいていた。だからエディ(・ジョーダン)に新品へ交換してくれと要求したけれど、部品代が高すぎるからダメと拒否された。案の定、本番では速攻でぶっ壊れた」と笑って語った。そして一度は別の道を歩んだフレンツェン、ベンドリンガー、シューマッハーだったが、のちに同じF1ドライバーとして活躍するのは皆さんご存じのとおり。

■ミハエル・シューマッハーのF1初優勝

  • 大会:1992年第12戦ベルギーGP
  • 出走チーム:ベネトン・フォード
  • 予選:3番手

 1991年ベルギーGPで見せたシューマッハーのパフォーマンスに最も感銘を受け、早くも1992年のレギュラードライバーとして彼の起用に積極的だったのは、ベネトン代表のフラビオ・ブリアトーレ(現:アルピーヌF1エグゼクティブ・アドバイザー)。ネルソン・ピケとロベルト・モレノのうち後者をすぐに降ろして、シューマッハーにベネトン・フォードのセカンドカーを即座に任せようと決めた。そこで問題となったのは、ジョーダン・グランプリとシューマッハーの契約、ベネトンとモレノの契約だった。

 ブリアトーレはシューマッハーのマネージャーだったウェバーとも緊密に連携し、ジョーダン・グランプリでの今後の参戦は法的に拘束されていないと判断。また、モレノに関してもシーズン途中放出は手切れ金を払えば法的に問題ないと確信。こうして、シューマッハーは1991年第12戦イタリアGPから最終戦まで、メルセデス・ジュニア・ドライバーとしてSWCに参戦するかたわら、ベネトンのレギュラードライバーとして戦うこととなった。

 第12戦イタリアGPで5位、ポルトガルGPで6位、スペインGPで6位とシューマッハーはブリアトーレの期待に応える結果を残した。終盤2戦の日本GPとオーストラリアGPはいずれもリタイアだったが、最終戦オーストラリアGPを除いてすべてピケを上回る予選結果を見せていただけに、1992年シーズンのチーム残留はもはや決定的。逆にピケの立場は徐々に危うくなり、実際に同年限りでのF1引退という結果に至った。

 もっとも、1992年シーズンに向けたベネトンの技術体制は、1991年後半時点で先行き不透明な情勢だった。1980年代にマクラーレンやフェラーリで手腕を発揮し天才と言われたジョン・バーナードを起用したベネトンだったが、ブリアトーレはあまりに彼のわがままな車体開発手法に激怒して1991年半ばで解雇。そしてバーナードの後任として白羽の矢を立てたのは、WSPCやSWCで活躍するジャガーを率いていたトム・ウォーキンショーだった。

 ブリアトーレはベネトン・フォーミュラ社の株式の35パーセントを譲渡する提携まで結び、彼を技術部門統括リーダーとして迎え入れた。ウォーキンショー自身は技術畑ではなかったがチームをまとめる才能は一級品で、ロス・ブラウンを起用したりロリー・バーンの呼び戻しにも成功した。そしてシューマッハーのセカンドドライバーには、1988年WSPCでタイトルを獲得したマーティン・ブランドルを起用。F1でも1984年からティレル、ザクスピート、ウイリアムズ、ブラバムで走っており、新人に近いシューマッハーを車両開発やレースの戦い方の面で支えるにはうってつけの人物だった。

 迎えた1992年シーズン、ウイリアムズ・ルノーがアクティブサスペンションやトラクションコントロールという当時のハイテクデバイスを用いて選手権をリード。同チーム所属のナイジェル・マンセルとリカルド・パトレーゼのワンツー・フィニッシュはお決まりの展開だった。そこに風穴を開けたのがマクラーレン・ホンダのアイルトン・セナとゲルハルト・ベルガー。そして新人ながらそれまで表彰台に何度も顔を見せていたシューマッハーだった。

 1992年第12戦ベルギーGP、予選3番手からスタートしたシューマッハーは、ウエットレースで序盤から苦しいレースを強いられていた。しかも、自身のミスもあって中盤には同僚であるブランドルに先行を許して4番手へ後退。ところがちょうどそのころ、雨脚は徐々に弱まり始める。30周目にシューマッハーは誰よりも早くピットストップしてスリックタイヤへ交換。最強のライバルであり先行するウイリアムズ陣営が彼の速さに気づいて動いたのはそこから2、3周後だった。

「僕の履いていたウエットタイヤはすでに限界だった。だからあの時点でピットストップしたけれどそれが最高の決断だった。ここで1年前にF1デビューして、その1年後にまさか自分が勝てるなんてね」とはシューマッハーのレース後のコメント。

 今回も楽勝と見られていたウイリアムズのマンセルは、スリックタイヤへの交換が遅れたのが敗因だった。「ミハエルは素晴らしい仕事をした。これは彼のキャリア初勝利だけれど、シューマッハーはきっと今後もっとたくさんのレースで勝つだろう」とは、36秒以上の大差で2位に甘んじたマンセルのコメント。1991年のベルギーGPで衝撃のF1デビューを飾ったシューマッハー。その371日後にあたる1992年の同じベルギーGPで、F1初優勝を飾ったのは何の巡り合わせだろうか?

(執筆:石井功次郎)

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