——新チームで選手権2位の成績は、十分に満足できるものでしたか?
JS:結果はあくまで結果だから、それに満足したかと言われても答えようがない。ベストを尽くしたのなら、それ以上何も考えるべきことはないんだ。まあ、タイトルを獲れたかもしれないとは何度も思ったし、獲れたはずだと言ってくれる人も、いまだにいる。
JS:ついこのあいだも、パトリックに会ってね。あの年、私はマシントラブルで7回リタイアしているから、それさえなければチャンピオンになれたと言われたよ。私はクルマのトラブルに腹を立てたりはしなかった。ひどく腹を立てたのは、自分がミスをした時だ。チームの誰もが、つねに全力を尽くしているのを知っていたからね。
——1978年には、新しいグラウンドエフェクトカーが投入されるまで、シーズンの前半戦を古いクルマで戦いました。全体として期待外れのシーズンでしたか?
JS:最初の年(1977年)は素晴らしかった。小さなチームながら、みんなが力を合わせて仕事をした。私の記憶では、確かチームは総勢20人ほどだったと思うけれど、当時フェラーリはすでに200人もいた。それであの成績だからね。そういう観点から言って、本当に最高のチームだった。
JS:だが、私は78年限りでチームを去り、フェラーリへ行くことになった。チームを離れることを、みんなに伝えたかどうかは覚えていないが、78年には雰囲気がずいぶん変わっていたのは確かだ。
——WR5/6はどんなクルマでしたか?
JS:あれはダメだったね。一度もいいパフォーマンスを示さなかった。いい感じで走れた記憶がまったくない。エキゾーストパイプから発する音だけは良かったが(笑)、出来のいいクルマではなかった。WR1がズバ抜けて良かったのか、あるいは77年は競争相手のレベルが高くなかっただけなのか、私には何とも言えないけどね。
——新車が完成した時には、もうフェラーリへ行くことが決まっていたのですね?
JS:フェラーリに契約をオファーされたのは、78年の第2~3戦の頃だったと思う。私は「契約の話をするのは、このシーズンを戦い終えた後にしたい」と言ったのだが、彼らに「それは無理だ」と拒否された。そうして契約の交渉を始めて、かなり早い時期に契約書にサインした。
——フィオラノでウルフのテストもしましたね。
JS:それまでにも、すでに2度ほどエンツォ・フェラーリに会いに行っていた。来てほしいと言われてね。フィオラノへ行ったのは、78年のアルゼンチン(開幕戦)の前だ。
——77年のクルマの1台を所有されていると聞きました。
JS:ああ、1台持っている。レースで3勝したクルマそのものではないけれど、そのクルマが現在誰のところにあるかも知っているよ。格好いいクルマだよね。今の目で見ても、すごく格好いい。最初のシーズンは本当に楽しかったよ。
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今回お届けしたジョディ・シェクターの他、オーナーのウォルター・ウルフ、マシン開発に携わったパトリック・ヘッド、冒頭にも触れたロス・ブラウンなど読み応え十分のインタビューのほか、恒例のバリエーション、ディテールファイルといったマシンの魅力をお伝えする企画も満載! これまで明かされてこなかったウルフ・チームの真実が見えてくる『GP Car Story Vol.28 Wolf WR1』は、全国書店やインターネット通販サイトで好評発売中。