8号車は、夜間ブエミのスローゾーン速度違反による60秒のストップ&ゴーや、スローゾーンのバッドタイミングにより遅れをとり、7号車との差は一時2分10秒以上に広がった。7号車がかなり優勢となったが、その遅れを「夜のアロンソ」が驚異的なペースで挽回した。
デイトナ24時間で夜間走行の経験があるとはいえ、夜のサルト・サーキットでのロングスティントは初めて。しかしアロンソは暗闇のなか臆することなくハイペースで走行を続け、トラフィックも最小限のタイムロスで次々と処理。クルマの問題もあってペースが思うように上がらないロペスとの差を1周2~3秒詰めていき、最終的には42秒差までギャップを縮め、明け方に一貴と交代した。
「夜の間に流れが変わり、フェルナンドから良い流れを引き継ぐことができた」という一貴は、ハイペースでロペスとの差を詰め、早朝、可夢偉と二度目の対決に臨んだ。
そして、しばらく続いた接近戦のあと、254周目ミュルサンヌの進入で可夢偉をパス。以降はスローゾーンのタイミングなど、レースの流れは全体的に8号車が有利な状態で推移し、正午を過ぎた時点で、2台のギャップは1分30秒程度に開いていた。
「オレら安心してもいい?」
その後、一貴と可夢偉が、ピットボックスでチームの首脳陣と話す姿が映像に映し出された。村田が「いつ出すかは決めていない」と語っていたチームオーダーがついに発令されたのかと思われたが、そうではなかった。
「最後に乗る彼らを呼んで『オレたちは、やはりワンツーを獲りたい。事故が起きるようならチームオーダーを決めるけど、オレら安心してもいい?』って聞いたら『まかせてくれ』って、ふたりが言ったんです。だから今回はいわゆるチームオーダーは最後まで出さなかった」と村田はレース終了後にそのときの状況を説明した。
最後のスティントを担当した一貴は、周回遅れとなった可夢偉を従えてランデブー走行を続ける。そして「魔の3分前」も何事もなくクリアし、午後3時にチェッカー。ポール・トゥ・フィニッシュで、日本車に乗る日本人初のル・マン・ウイナーとなった。6回目の挑戦で、数々の挫折を乗り越えついに一貴は優勝をその手でつかんだのだ。
「最後は安全第一でした。ホントそれだけでしたね。乗る前は無線で冗談を言おうかな……とか思っていましたけど(笑)、そういうことも飛んでいました。良い意味でやることに集中できていたと思います。チェッカーを受けられてホッとしましたし『やっと勝てたな』という気持ちもありました」
感動の号泣という我々メディアの浅はかな期待は裏切られ、一貴はル・マンで勝っても、いつもの一貴だった。しかし、ポディウムでの心の底からの晴れやかな笑顔を見て、みんながとても幸せな気持ちになった。また、勝利を逃した可夢偉の表情にも、すべてをやりきった男のさわやかさがあった。
マニュファクチャラーのライバルはおらず、トヨタとしては楽勝だったとも言える。しかし、そこに至るまでの努力や流した涙の回数、そしてレースの内容を考えれば、トヨタと一貴は、やはりル・マン・ウイナーにふさわしい。事実、表彰式での観客の盛り上がりや声援は、アウディやポルシェが頂点に立ったときと何ら変わらなかった。
■まだパーフェクトではない
ただし、完璧なレースとは言えない部分があったのも事実だ。スローゾーン中の速度超過による60秒のストップ&ゴーは計3回あり、ピット作業中にクルマのプッシュバックが充分ではなくタイムをロスするシーンも見られた。
レース終盤、可夢偉はピットインのタイミングを間違えて燃料不足の危機に直面した。省燃費走行モードに切り替えて、なんとか難を逃れたが、もし僅差の優勝争いをしていたら、それがアダとなっていた可能性もある。
「それ以外にも24時間、小さなトラブルは山ほどあって、昨年までのオレらだったら破綻していたかもしれない。でも、それらをきちんとコントロールしてゴールまで持っていくことができた」と、村田チーム代表。
何度も打ちのめされながらも、そのたびにあきらめることなく立ち上がり、苦難を糧として戦い続けたチームの執念がつかんだル・マン初優勝である。
