2010年、ボッタスはARTグランプリのカーナンバー1を背負って、ユーロF3で2勝を飾った。ただ、この年はフランスのシグネチャー(のちのシグナテック/アルピーヌ・エンデュランスチーム)から参戦したエドアルド・モルタラ、マルコ・ウィットマンの牙城を崩せず、ボッタスは2年続けて選手権3位となった。
また、マスターズF3で2連覇を果たした他、11月に行われた第57回マカオグランプリにプレマから参戦。ただ、マカオもシグネチャー勢の包囲網を崩しきれず、3位が精一杯だった(編注:優勝のモルタラを初め、2位、4位がシグネチャー勢だった)。


ユーロF3で2年続けて選手権3位となったボッタスは2011年、F1のサポートイベントとして開催2年目となるGP3に主戦場を移した。チームはARTグランプリのままだが、グループ・ロータスとの提携により、エントリーチーム名はロータスARTとなった。前年エステバン・グティエレスがタイトルを獲得したロータスARTだけに、体制面は万全だった。
しかし、ボッタスは開幕戦イスタンブール、第2戦バルセロナの4レースのうち、1レースしかポイントを得ることができなかった。そのため、2大会を終えた時点では、ミッチ・エヴァンスやナイジェル・メルカーといった優勝者たち、4レースとも入賞を果たしたカルダレッリ(テック1)がタイトル争いに残ると予想されており、ボッタスは蚊帳の外だった。ただ、カルダレッリは予算不足でGP3を離れ、KONDO RACINGから参戦する全日本選手権フォーミュラ・ニッポンに専念し、その後しばしの間、彼は日本でキャリアを重ねることになる。
ボッタスは第3戦バレンシアのレース2でようやく初表彰台となる3位に入る。ただ、第4戦シルバーストンでは2レースともにノーポイント。全8戦16レースのうち、前半戦は散々な結果だった。ただ幸運か、ライバル勢も浮き沈みの激しいシーズンを過ごしており、メルカーは5レース連続無得点、エヴァンスは中盤から終盤戦にかけて8レース連続無得点に。そんな中、ボッタスは第4戦ニュルブルクリンクからの8レース中4勝、計6回の表彰台でポイントを積み重ね、選手権2位となったジェームズ・カラド(ロータスART)に7点差をつけ、2011年GP3チャンピオンに輝いたのだった。


2012年、ボッタスはレースには参戦せず、ウイリアムズF1のリザーブドライバーとしてチームと行動をともにした。また、シーズン中には20戦中15のグランプリで金曜日のフリー走行にブルーノ・セナのマシンで出走した。この年からすでに、2013年のウイリアムズのシートを得るという見方は少なくなく、事実ボッタスは2013年のウイリアムズのシートを掴み、F1デビューを飾るのだった。


さて、ここまでボッタスのF1以前のキャリアを紹介してきた。そのキャリアを支え続けた代理人(マネージャー)の存在を紹介しよう。まずひとり目はドライバーマネジメント会社Aces Managementを運営するディディエ・コットンだ。
コットンはボッタスの母国フィンランドの英雄ミカ・ハッキネンのマネジメントを担当していた人物だ。また、ハッキネン自身も母国フィンランドの若手を応援するべく、アドバイザーとしてマネジメントチームに加わっていた。
そして、飛躍のきっかけとなったのが元レーシングドライバーのトト・ウォルフだ。実業家転身後、メルセデスとも関係が深いHWA AGを共同代表として率いるなど、さまざまなモータースポーツビジネスに関与してきた彼はAces Managementの共同経営者としてボッタスの代理人を務めつつ、2009年からはウイリアムズF1の株式を保有し、同チームの非常勤役員を務めていた。
若くして実業家として成功するウォルフの存在は、高齢のフランク・ウイリアムズにとって、自身の後継者に指名することも考える魅力的な存在だった。事実、ボッタスが20戦中15戦フリー走行を走った2012年、ウォルフは7月よりウイリアムズの常務取締役に昇格し、フランクを側から支えていた。
つまり、ウォルフはウイリアムズにボッタスを売り込む立場でありつつ、起用の是非を決するウイリアムズの経営サイドでもあった。彼はF1のレギュラーシートを求めるボッタスにとって、これ以上ない心強い存在だった。


しかし、ボッタスがウイリアムズからF1デビューを飾る目前に、ウォルフはメルセデスに移籍し、同チームのエグゼクティブディレクターに就任した。2013年シーズンから、ライバルチームであるメルセデスを率いる立場へと変わったのだった。その後、彼は2014年からのパワーユニット(PU)時代を迎え、チーム代表としてメルセデスの黄金期を支える大仕事を成し遂げる。
ただ、ウォルフとボッタスの縁は切れることなく続き、2016年をもってニコ・ロズベルグがF1からの電撃引退を宣言すると、ウォルフはウイリアムズからボッタスを引き抜いた。
『ドライバーと代理人』ではなく『ドライバーとチーム代表』というかたちで再びウォルフとタッグを組んだボッタスはF1で10勝、2019年と2020年には自己最高位の選手権2位を手にすることになる。これらの記録はいずれもウォルフ率いるメルセデスで成し遂げた結果だ。
ボッタスは、GP2や国際F3000といったF1直下のカテゴリーへの参戦経験がない、今季のF1ドライバーの中では少数派のひとりだ。それはユーロF3を2年戦ったあと、F1への明確な道筋ができていたボッタスに、GP2に挑む理由がなかったからだ。
自身の代理人がF1チームの中核におり、その信頼は何よりも厚かった。前書きで『F1でレギュラードライバーの座を掴んだ人物は、下位カテゴリーからライバルを圧倒してきた名手ばかり』と記したが、ボッタスの秀でた実力はその走り以外にも、ライバルを圧倒する代理人の存在が大きかった。なぜなら、彼の代理人はF1でコンストラクターズ8連覇を支える素質を備えた人物だったのだから。




