レースを愛してやまないファンの方々へ
autosport web Premiumが登場。

詳細を見る

F1 ニュース

投稿日: 2021.10.09 14:30
更新日: 2021.10.09 14:00

「トラブル続きでどうしようもなかった」ゴードン・マレーが語る“ラジカルすぎた失敗作”ブラバムBT55

レースを愛してやまないファンの方々へ
autosport web Premiumが登場。

詳細を見る


F1 | 「トラブル続きでどうしようもなかった」ゴードン・マレーが語る“ラジカルすぎた失敗作”ブラバムBT55

「私は1971年にブラバムであるクルマをデザインし、それをきっかけにピート・ワイズマンと知り合うことになった。ジャック・ブラバムとロン・トーラナックは、スポンサー獲得の可能性があると考えてインディアナポリス出場を目指し、オッフェンハウザー・エンジンを積むための設計の仕事が私に回ってきたんだ」

「ご存知のように、そもそもオッフェンハウザーは古いロードスターのフロントに大きく傾けて搭載されていたエンジンで、プロペラシャフトをドライバーの横に通すことを考えると、クランクシャフトがオフセットするのはむしろ好都合だった。トーラナックがやろうとしたのは、ロードスターのパッケージングをそのまま使って、オッフェンハウザーをミッドシップマウントにすることだった。そうすれば、エアボックスがちょうどドライバーの頭の真後ろに来て、全体として低いボディラインにできる」

「だが、クランクシャフトが大きく片側に寄っているのに対し、デフは車体の中心線上に置かざるをえない。それをどう解決するかが問題だった。そこで彼らはピートを私に引き合わせた。そして、彼はギヤボックスのインプットをクランクセンターに、後方のアウトプットシャフトをデフの中心軸に合わせた“Zドライブ”を考え出した」

「そのことが、ずっと私の頭に残っていたんだ。そして、直立マウントのBMWエンジンで3年間を過ごした後に、あれと同じことをやろうと考えて、水平から15度だったか17度だったか忘れたが、とにかくエアボックスがドライバーの頭の後ろに来るところまでエンジンを傾けてみた。それからピートに電話して、『あのZドライブギヤボックスの最新型を作ってほしい』と頼んだわけだよ」

──エンジンを大きく傾けることに、BMWは反対しませんでしたか?

「ああ。BMWは私たちと組んで世界選手権タイトルを勝ち取った。彼らは翌年にターボのトラブルが多発したことに負い目を感じ、それについては謝罪もしてくれた。その次の年には、私たちもBMWもピレリタイヤに業を煮やすことになった。だから彼らは、また勝てるようになるために、何かラジカルなことを試すのも悪くないと考えていた」

ブラバムBT55のBMWエンジン(1986年イギリスGP)
ブラバムBT55のBMWエンジン(1986年イギリスGP)

──デビッド・ノースとは、どのように仕事を分担していたのですか?

「デビッドはとても優秀なギヤボックスの設計者になり、クルマのリヤエンドを受け持つことが多かった。そして、彼がサスペンションを設計している間に、私は他の部分に取りかかり、デビッドは自分の担当領域を片付けると、サスペンション関連のパーツやラジエターなどを手伝ってくれた。実際のところ、クルマ全体をふたりで手分けして作っていたというのが正しいだろうね」

■不調の原因

──BT55はどうして期待はずれに終わったのでしょうか?

「残念なことに、いろいろな作業に時間がかかって、クルマが完成したのは開幕戦の直前だった。そして、大きく傾けたエンジンはトラブルが絶えなかった。油温をコントロールできず、エンジンが回っている間はどんどん温度が上がる一方でね。右コーナーではオイルが全部シリンダーヘッドの方へ片寄り、それがバルブギヤで激しく掻き回されるものだから、パワーロスが生じるし、油温もひどく上がってしまうんだ。結局、それが最大の問題だと気づくまでに半年かかり、シーズンの残りは対策を試みることに費やした。ふと気づけば、もうシーズンは終わりかけていた。エンジンを寝かせたのは失敗だったと思う。あまりにラジカル過ぎた」

「リヤサスペンションもまったく機能していなかったし、ドライブラインに奇妙な角度がついていて、ジオメトリーの手直しもできなかった。モノコックの剛性も不足気味で、ホイールベースが長すぎてトラクションが悪かった。だが、一番の問題はやはりエンジンのスカベンジングで、シリンダーヘッドへ行ったオイルをうまく回収できなかったことだ。ある方向へコーナリングするときは何の問題もなく、フル加速で立ち上がることができて、油温も正常だった。ところが、反対方向のコーナーでは油温が130℃まで上がり、オイルがシリンダーヘッドに溜まってしまうんだ」

■特異なドライビングポジション

──あのドライビングポジションを受け入れるよう、ドライバーたちを説得する必要にも迫られたのではありませんか?

「最初はひどく不評だったが、みんなそのうちに慣れたと言っていた。リカルド(パトレーゼ)の話では、『しばらく乗れば慣れるけど、決して快適ではない』とのことだった。結局のところ、体は寝ていても視線は水平に保たなければならないからね。ドライバーの背中の角度が約35度というのは、肩と首だけを無理に起こしているような姿勢になるので、やはり常軌を逸していたと思う。楽なドライビングポジションではなかったことは確かだ」

「ただ、クルマが抜群に速ければ、また話は違っていたかもしれない。マクラーレンMP4/4のときも、初めてあのクルマに乗ったプロストは、『このポジションではドライブしたくない。以前のようにもっと上半身を立てたい』と注文をつけ、私たちは彼のシートの裏に楔型のスペーサーを入れてやった。その一方で、アイルトン(セナ)はこう言ったんだ。『これほど速く走ってくれるなら、僕はこのままでいい!』とね」

──BT55のシャシーは、完全に新設計だったのですか?

「そうだね。あれはブラバムでは初のフルカーボンシャシーで、まったくの新設計だった。ただ、フロントエンドのキャスティングは前年と同じもので、新しくなったのはモノコックタブだけだ。あとは、言うまでもなくエンジンの搭載方法とギヤボックスが変わっていて、それが3つの大きな変更点だ。その他の部分は、ほとんどBT54と同じだった」

■出口の見えないトラブル

──シーズン中には、大規模な開発が行われたのでしょうか?

「開発努力の大半は、エンジンとオイルの冷却に注がれた。実際、何度もオイルクーラーの変更や追加を繰り返したが、最初はどうしてそれで問題が解決されないのか分からなかった。私はあのシャシーのデザインに着手する以前から、エンジンを横倒しにするのに必要な設計変更に関与していた。カーデザイナーでありエンジンの設計者でもある者として、私はもっと早く気づくべきだったんだ。エンジンを横に寝かせるなら、シリンダーヘッドからオイルを戻すために専用のポートドレンが必要だということにね。インディカーのオッフェンハウザー・エンジンには、もちろんそれがあったのだから」

ブラバムBT55(1986年スペインGP)
ブラバムBT55(1986年スペインGP)

■デ・アンジェリスの死


関連のニュース

本日のレースクイーン

AUTOBACS/大阪オートメッセ2024
一之瀬優香(いちのせゆうか)

F1 Photo Ranking

フォトランキング