今の私は、全戦グランプリの現場に出かけたりはしない。コロナ禍で、国境をまたぐ移動には、銀行に融資を申し込む場合よりも多くの書類を用意しなければならないから、できる限り自分の国から出ないのが得策だ。それでも私はサーキットで起きていることすべてを把握している。関係者全員を知っているし、彼らの方も私を知っている。私が知らないところで起きていることなど、何ひとつない。
最終戦の後で複数の知り合いから聞いたのだが、シーズン終盤、ヘルムート・マルコは超接戦でタイトルを争っているマックス・フェルスタッペンのサポートで頭がいっぱいで、アルファタウリを訪れることが減ったという。つまり、マルコが角田に無用なプレッシャーをかけに来なくなった時期と、彼が輝き出した時期は一致するわけだ。
謎が解けた。マルコを角田の半径50メートル以内に近づけなければいいのだ。2022年も彼の活躍が見たければ、マルコを遠ざけておくこと。そうすれば角田は輝き続ける。この私が言うのだから、間違いない。
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筆者エディ・エディントンについて
エディ・エディントン(仮名)は、ドライバーからチームオーナーに転向、その後、ドライバーマネージメント業務(他チームに押し込んでライバルからも手数料を取ることもしばしばあり)、テレビコメンテーター、スポンサーシップ業務、講演活動など、ありとあらゆる仕事に携わった。そのため彼はパドックにいる全員を知っており、パドックで働く人々もエディのことを知っている。
ただ、互いの認識は大きく異なっている。エディは、過去に会ったことがある誰かが成功を収めれば、それがすれ違った程度の人間であっても、その成功は自分のおかげであると思っている。皆が自分に大きな恩義があるというわけだ。だが人々はそんな風には考えてはいない。彼らのなかでエディは、昔貸した金をいまだに返さない男として記憶されているのだ。
しかしどういうわけか、エディを心から憎んでいる者はいない。態度が大きく、何か言った次の瞬間には反対のことを言う。とんでもない噂を広めたと思えば、自分が発信源であることを忘れて、すぐさまそれを全否定するような人間なのだが。
ある意味、彼は現代F1に向けて過去から放たれた爆風であり、1980年代、1990年代に引き戻すような存在だ。借金で借金を返し、契約はそれが書かれた紙ほどの価値もなく、値打ちのある握手はバーニーの握手だけ、そういう時代を生きた男なのである。