1955年シーズン、W196RはF1で活躍、300SLRもミレミリアで圧勝するなど大成功を収めるかに見えたが、ルマン24時間で300SLRの1台が周回遅れとストレート上で接触。宙を舞った300SLRは観客席に飛び込み、メルセデスのドライバー1人と84人の観客が命を落とす大惨事を招いた。
この事故を受けてメルセデスはレースを棄権しただけでなく、1955年シーズンの終了を待ってレース活動そのものを休止してしまう。公式には、この判断はルマンでの事故以前に決まっていたとされるが、モータースポーツ史に残るこの大事故が彼らの決定に何らかの影響を与えていたとしても不思議ではないだろう。
この悲劇の余韻は長く続き、メルセデスは1970年代後半までワークス活動を控えることになる。わずかに行われたのは、プロトタイプカーによる速度記録挑戦だけ。また、現在もメルセデスのモータースポーツ活動で重要な役割を担うAMGが誕生したのは、ちょうどこの時期にあたる1967年のことだった。
ダイムラー・ベンツの従業員だったハンス-ヴェルナール・アウフレヒトが中心となって同社を設立したことは連載の第1回で触れたとおりで、もともとメルセデスとの資本関係がなかったAMGは2005年にはダイムラーの完全子会社となり、現在もメルセデス・ワークスチームとして様々なカテゴリーに挑戦している。
ワークス活動を30年近くの長きにわたって中断してきたメルセデスが、いかにして復活を遂げたのか? その物語は次回で述べることにしよう。