──以前「自分では(引退の)判断を下せるタイプではなく、先に周囲の状況がそうなってしまうのでは」と仰っていましたが、そういった“状況”になってこういう形になったという理解でよいでしょうか?
「なるほど……トリッキーな聞き方ですね(笑)。ただ、ある意味そのとおりで。ドライバーとしてよっぽどパフォーマンスが落ちてきていれば、さすがに自分で区切りを決められる部分もあるのでしょうけど、自分はわりと優柔不断な性格ではあるので、ある意味では、いろいろな状況によって自分の身の振り方を決めるという方が、自分の性格にも合っているのかなという部分はあるので……もちろん、そういう意味では自分で決めたことでもありますけど、まわりの状況と、まわりの人たちと相談させていただきながら、こういうことになりました、ということですね」
──その相談というのが、最初に始まったのはいつですか? 今年のル・マンより後ですか?
「まぁなんとなく、そうですね、ル・マンよりは後になりますね」
──ではル・マンの時は「これが最後のル・マンだ」という気持ちでは走ってない?
「そうですね、それはあまり意識はしてなかったです。ただ正直、毎年考えてきたこと……自分で辞める・辞めない(を決断すること)じゃないですけど……そこそこ歳も重ねてきてますし、そもそもパフォーマンスが伴わなければいつ下されるか分からないと思ってやってきているので、ここ10年間は。そういう意味では毎年毎年、どういう形であれ、自分のベストを出し切ろうと思ってやってきていることに変わりはないので、そこ(最後のル・マンになるかどうか)はもともと意識はしていないですけど」
──「トヨタのモータースポーツのなかでできることをやっていきたい」とのことですが、ということはたとえばお父様(中嶋悟氏)の会社やチームを継ぐみたいな考えはないのでしょうか?
「まぁ、それはあんまりないですね。もちろん、自分がレースを通してやってきたなかで、親がいたからこそここまでやってこれているという部分もあるので、そういった意味では親孝行ということを考えれば、そういうこと(チームを継ぐ)も考えるべきなのかなという気もしますけれど……ただ、やっぱり自分はレースキャリアを通してトヨタさんにずっと育ててもらってきているので、まずはやっぱりこの(トヨタの)なかで自分にできることをやっていきたいなというのがまず第一、ですね」
──勇退を発表されてから、いろいろなリアクションが届いてるかと思いますが、どんな声がありましたか?
「まず、『本当にお疲れ様でした』っていう声をたくさんいただきました。もちろん残念がってくれている方もたくさんいらっしゃいますけど、それよりもまず『10年間本当にお疲れ様でした』っていうところが、(反響としては)一番大きかったですね」
■WECチームへの来季以降の帯同を「個人的には希望」

