それでも、これまで自身が掴んだ自信や、培ってきた経験を再びトップチームで体現することを現実的とは捉えていなかったようだ。

「シーズン当初からベストを出し切れているのが分かる。今勝てるマシンが手に入れば、間違いなくポテンシャルを最大限引き出すことができると保証してもいいよ。もちろん今のウイリアムズに対抗できるチームはいないが、私がウイリアムズ、マクラーレン、ベネトンのドライバーであれば勝てると自信を持って言える。だけど、フランク(ウイリアムズ)、ロン(デニス)、フラビオ(ブリアトーレ)が私を呼ぶなんて夢にも思わない。私の名前はもう流行後れで、チームの最優先候補ではないからね。トップドライバーが契約を結ぶのを待たねば、チームと真剣に交渉できないよ」

「とはいえ、今日のF1において経験はとても大切だと思う。この点は若くて速いドライバーを抱えるチームが苦戦していることからも明らかだ。間違ったセッティングに進む場合もあるし、肉体的な問題から力を出し切れないかもしれない。経験を積むうちにいろいろ分かってくる。キャリアを積むとはそういうこと。年長のドライバーに高い契約金が支払われる理由もそこにある。

「昨年までの2シーズンは苦しかったが、自分さえしっかりしていれば、最悪の状態から立ち直れると信じていた。まだ十分やっていけると証明できた。かつてはトップチームで走っていたこともあったし、これからも同じようにやっていく」

 1992年夏、アルボレートが抱えていた問題は、他の中堅ドライバーたちと同じだった。アイルトン・セナがマクラーレンとの契約延長を拒否し、ロン・デニス率いるチームはホンダを失い、アラン・プロストはウイリアムズから復帰してナイジェル・マンセルのパートナーとなる見込みだったため、ドライバー市場は閉ざされていた。そんな中、マンセルがモンツァでウイリアムズとF1から完全に離脱すると発表し、フランク・ウイリアムズが提示した契約を拒否したのだ。プロストの契約にはセナをチームメイトにできない条項があったため、セナに残された選択肢はマクラーレンでもう1年過ごすか、1シーズン休むかのどちらかだった。

 こうして市場が開かれた。ポルトガルGP終了後、フットワークから離れ、スクーデリア・イタリアへの移籍を決めていたアルボレートは「契約は成立済みだ。私は署名した。あとは相手側の署名だけだ」と認めた。そしてすぐに契約は交わされ、こうしてアルボレートのアロウズ/フットワークでの3年間の冒険が幕を閉じた。

 1992年は全16戦中14戦完走と完走数は堂々のトップ、完走率87.5%も参戦5戦以下のドライバーを除き最も高い数値を残した。

1992年のF1を戦うフットワークのミケーレ・アルボレート(手前)、鈴木亜久里(奥)

■次のステップへ、そして……

 その後のインタビューでアルボレートは、フェラーリを去って以来最高のシーズンとなった1992年を振り返って、再び得た高揚感、そして新たな道へ進んだ理由がどのようなものだったのか、心境を明かしている。

「フットワークでの最後のシーズンは、努力が実を結び始めたので、とても楽しかった。アラン・ジェンキンスとの仕事も楽しかったし、毎週末、競争力のあるマシンで走れることも最高だった。多くのドライバーがリタイアしたおこぼれを預かったわけではなく、実力でポイントを獲得していたからね。1989年以来久々にその喜びを実感できたよ。

 ポルシェとの提携が失敗に終わり、事態は予想とは異なる展開となった。無限との契約は賢明な判断だったが、エンジン開発は進まず、率直に言って車両開発もほとんど進んでいなかった。日本のボスからの資金供給が枯渇し始めていたのだろう。だから、私にとって次のステップへ進む時だったんだ」

フットワークを率いた大橋渡氏とミケーレ・アルボレート。『GP Car Story Vol.55 Footwork FA13&FA14』では大橋氏と鈴木亜久里氏の特別対談を掲載

 1993年、スクーデリア・イタリアがシャシーサプライヤーをダラーラからローラに変更したものの、この新たな提携は惨憺たる結果に終わり、チームは1993年シーズン終了の2戦前に解散することになる。

 オフシーズンテストでは、ミハエル・シューマッハーが首の手術でテストに参加できなかったため、アルボレートはJ.J.レートとともにベネトンのテストに参加する機会も得たが、1994年はスクーデリア・イタリアと合併したミナルディから参戦。モナコGPで1ポイントを獲得し、その年でF1のキャリアを終えた。

 F1から離れた後、1995年DTMドイツ・ツーリングカー選手権、ITC国際ツーリングカー選手権、1996~1997年はアメリカでIRLインディ・レーシング・リーグにも参戦した。1997年ル・マン24時間ではポルシェで総合優勝を果たし、2000年にはアウディで総合3位を獲得。耐久レースの舞台であらためて存在感を示したその走りは、フェラーリ時代に見せた輝きを我々に思い起こさせてくれた。

 2001年4月、ドイツ・ラウジッツリンクにてル・マン24時間に備えたアウディR8のテスト中に、突如コースを外れバリアに激突し横転。頭と首を強打し、44歳という若さで帰らぬ人となった。

1990年〜1992年F1にフットワークから参戦したミケーレ・アルボレート

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GP Car Story Vol.55 Footwork FA13&FA14』を通して読んでいただくと、アルボレートに対する賛辞の言葉が多い事に気が付く。彼の側にいた人ほど、『レーサー』アルボレートに魅せられた印象を受ける。間違いなく1992年のアルボレートは輝いていた。そんな彼の魅力を再確認できる他に当時のフットワーク・無限ホンダの真実を多くの関係者が語っている。

 特にフットワークのF1活動が終わってから、メディアに出る事になかった大橋渡氏と、ドライバーとしてフットワーク・無限ホンダ時代をともに戦った鈴木亜久里氏との対談は必読! 当時のF1ファンの方たちには、歴史の証言としてぜひ読んでいただきたい。

 このフットワーク時代がF1活動の第一章に当たる無限。当時の設計に携わっていた橋本朋幸M-TEC社長と松本正美氏によるエンジン解説は、ホンダV10を流用したイメージが強かった無限ホンダ初期エンジンが、いかに無限オリジナルを追求していたかが分かるエピソードになっている。

 エンジンだけでなく、車体も実は『メイド・バイ・ジャパニーズ』で、アラン・ジェンキンスのもとで空力エンジニアとして車体デザイン業務に従事していた田中俊雄氏によるインタビューからは空力へのこだわりが色濃く見えてくる。

 この他、無限ホンダ現場の顔である坂井典次氏、1993年レギュラードライバーのデレック・ワーウィック、アクティブサスのテストのためにFA14をドライブしたミカ・ハッキネン、チーム創設者のジャッキー・オリバーら読み応えあるインタビューを多く掲載している。

GP Car Story Vol.55 Footwork FA13&FA14』は現在発売中。全国書店やインターネット通販サイトでお買い求めください。内容の詳細は三栄オンラインストアまで。

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