迎えた決勝当日。
昼間から砂混じりの強風が吹き荒れて、バーレーン国旗も真横にたなびいていました。
フェラーリ史上最年少の21歳165日でポールを獲得したルクレールのガレージ前には、大勢のカメラマンが押し寄せていました。
一方、ガスリーのガレージ前は、当然とはいえ閑散としたものでした。ホーナー代表が時おりヘッドセットで、ガスリーに言葉をかけていたみたいです。
そしてガスリーがグリッドに付くと、今度はレッドブルのモータースポーツアドバイザー、ヘルムート・マルコ博士が近寄ってしばらく話し込んでいましたよ。冬のテストでつまずいて以来、なかなか本来の速さを発揮できないガスリーに、上層部も何とか立ち直ってもらおうと必死です。
レースでは何とか8位入賞を果たしましたが、本人はまだ全然納得した風ではなかったですね。
2年ぶりにFIA-F2復帰を果たした松下信治選手も、不本意な週末となってしまいました。予選こそ6番グリッド獲得とまあまあの結果でしたが、レースではタイヤがまったく持たず。土曜日のレース1は9位、日曜日のレース2はクラッチトラブルも重なって、12位に終わりました。
ガスリー同様、1日も早い復調が望まれるところです。
それにしてもルクレール、フェラーリ2戦目にしてあわやポール・トゥ・ウィンを成し遂げてしまうところでした。
しかもチームオーダーを無視してベッテルを抜き去った上に、チーム側ももはやそれを不問に付さざるをえず。あっという間にチーム内で、自分の居場所を築き上げてしまったのでした。いよいよルクレール、フェルスタッペン時代が到来するのか。そんな強烈な印象を残したバーレーンGPでした。