ペレスは、2008年10月から2009年4月に開催された2008-2009シーズンGP2アジアにバルワ・カンポスからフル参戦。カタールのロサイル、バーレーンで2勝を飾るも、総獲得ポイントは26点で選手権7位となった。
なお、このシーズンのGP2アジアの4レースにスポット参戦したニコ・ヒュルケンベルグ(ARTグランプリ)は1勝、3位1回、4位2回という成績で、スポットながら総獲得ポイント27点で選手権6位に。フル参戦のペレスはスポット参戦のヒュルケンベルグに1点差で負ける屈辱的なシーズンとなった。


19歳を迎える2009年、ペレスはF1直下のGP2シリーズ参戦を果たす。しかし、GP2アジアで所属し、タイトルを争える強豪チームだったバルワ・アダックス(旧カンポス)のシートはルノー育成のロマン・グロージャンとロシアンマネーを持ち込んだビタリー・ペトロフが抑えており、ペレスは1年“待ちのシーズン”を過ごす。
代わりに加入したチームはギャリー・ホーナー(クリスチャン・ホーナーの父)が率いるアーデン・インターナショナル。『エスクデリア・テルメックス』による強力な支援が加わり、『テルメックス・アーデン・インターナショナル』というチーム名で参戦した。
この年のGP2は次期皇帝候補と呼ばれたヒュルケンベルグが支配。ペレスは2度の表彰台登壇を果たすも、その当時のアーデンではタイトル争いに加わることはできず、選手権12位に終わった。


そして20歳となる2010年、ペレスは待ちに待ったバルワ・アダックス入りが叶った。新たな開催地ヤス・マリーナでの経験を積むために、事前に2009-2010シーズンGP2アジアにスポット参戦する徹底ぶりだった。
振り返ればこの時点までイギリスF3の中古車クラス(編注:ナショナルクラス)でしか四輪タイトルを獲得できていないペレスにとって、強豪バルワ・アダックスから臨むGP2は、『メジャーなタイトルを持たない』というこれまでの評価を一変させるチャンスだった。
事実、強豪バルワ・アダックスは確かにペレスのポテンシャルを引き出すチームだった。ただ、この年のGP2にはベネズエラ出身でベネズエラ国営石油会社(PDVSA)の強力な支援を受けるパストール・マルドナド(ラパックス)、そしてフェラーリ育成のジュール・ビアンキ(ARTグランプリ)ら名手がいた。


なかでもマルドナドは20レース中10勝、6大会連続でフィーチャーレース(編注:スプリントレースよりも獲得できるポイントが多い)でトップチェッカーを受ける怪物ぶりを発揮。シーズン終盤は5レース連続で無得点となるも、2レースを残してGP2チャンピオンに輝いた。
ペレスは5勝を飾るも、そのうちフィーチャーレースは2勝、スプリントレースが3勝で選手権2位となった。選手権3位のビアンキが未勝利に終わったことを考えれば、かなりの健闘ぶりであり、ペレスにとってメジャーレースにおける選手権2位は間違いなくF1以前のキャリアハイだった。


翌2011年、ペレスは『エスクデリア・テルメックス』の強力な支援により、資金不足の悩みが尽きないザウバーからF1デビューを飾ることになるが、この時点では『メジャーカテゴリーのタイトル獲得経験がない若手』であり、資金難のザウバーでシートを得た最大の理由を『テルメックスによる資金』だとする見方が多数を占めていたのは事実だ。
ただ、2025年に1年間の休養を挟むも、彼はその後15シーズンにわたりF1のレギュラーシートに座り、本稿掲載時点で通算6勝、39回の表彰台登壇という確かな結果を残している。また、2021年と2022年にはエスクデリア・テルメックス・テルセルを率いるスリム親子の悲願も叶えた。メキシコシティGPにおいて、表彰台登壇を果たしたのだった(2回ともに3位)。
特に1回目の表彰台となった2021年メキシコシティGPの瞬間は忘れ難い。表彰式プレゼンターを務めたカルロ・スリム・ドミットは、優勝したマックス・フェルスタッペン(レッドブル)よりも、3位のペレスに向けて満面の笑みとともに、熱心に健闘を讃えトロフィーを手渡したのだった。メキシコシティGPの表彰式でメキシコ人ドライバーが讃えられる。それはテルメックスとペレスが、メキシコ人の長年の夢を実現した瞬間だった。




